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最終回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“温泉”

ss短歌色物語バナー.jpg←アンコール連載「かとちえの短歌色物語」はこちらかとちえの短歌ストーリーバ.jpg

更新日1月10日

<ご挨拶>
加藤千恵です。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
そして、新年早々、悲しいお知らせではありますが、
前回この欄で発表したように、
今回で「かとちえの短歌ストーリー」は最終回となります。
残念、という言葉では表せないくらい残念ではありますが、
本当に楽しかったです、といって終わらせるほうが似合う気がします。
そのくらい、みなさんの短歌を読んだり、
ストーリーを考えるのは、楽しいことでした。
ありがとうございます。
最終回の今回、サプライズなお知らせもありますので、
ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。


<今月の作品> 〜第12回テーマ「温泉」
  乳白色
 たぶんわたしのほうが遅くなるだろうという読みは当たっていた。
部屋の扉をあけたとき、彼は、お、と言いながら笑いかけてくれたものの、
もうすっかり待ちくたびれた様子を隠しきれてはいなかった。
テーブルの上には缶ビールが二本。顔も少し赤くなっているし、
浴衣もちょっとはだけている。お待たせしました、と言いながら、隣に座る。
「ごめん、だいぶ待たせちゃった?」
「長かったね」
 声が同時だった。思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
「いい匂い」
 彼がそう言いながら、わたしの体を抱きしめる。もうすっかり慣れている、
と思うけれど、それは抱きしめられることに慣れたということかもしれない、
と思い直す。
「顔がいつもより柔らかい」
 頬をなでられながらつぶやかれた。彼の指が冷たく感じる分、わたしの体が
あたたまっているのだろうと思う。同じように、彼の頬をなでると、お酒の
せいか思ったよりも熱く感じた。
「布団行く?」
 わたしたちがお風呂に入っている間に用意されたのであろう布団に、
一瞬顔を向け、彼が言う。質問だけど、断られることなんてまるで考えて
いないのだから、もはや質問ともいえない気もする。
「ちょっと待って。お水飲むから」
 旅行バッグから、昼間に買って、飲みかけになっていたペットボトルを
取り出した。ぬるいけれど、どこを通っていくかがはっきりとわかるように
吸収されていく水は、さっきから感じていた強い渇きをうるおしてくれた。
「まだ飲みたい?」
 彼が聞き、わたしが答える前に、ペットボトルを奪われてしまう。
彼ののどぼとけが動くのを確認した直後に、唇が重ねられる。目を閉じると、
唇から液体が流し込まれるのがわかった。水だ。さっきよりもさらにぬるく
感じる。わたしが水を飲み干しても、彼がわたしの両頬をおさえる力は、
しばらく止まらなかった。手がはずされ、唇がはずされ、わたしが言った。
「びっくりした」
 笑う彼は、実際の年齢よりもずっと若く見える。今に始まったことではない
けれど。そう思うと同時に、別の言葉が口から出ていた。
「また温泉連れてきてね。絶対」
 彼は、突然の言葉に、一瞬だけ驚いた表情を浮かべたものの、もちろん、と
言ってわたしを抱きしめた。得意げに、毎月だって旅行できるよ、と付け足す。
胸の中で、いろんな言葉が浮かんでいく。
 本当に? 毎月? 奥さんに疑われないようなうまい言い訳を、そんなに
用意できるの? そんなに長く、わたしと付き合っていきたいと思ってくれて
いるの?
 一番最初の質問を口にしようとしたときに、なぜか、さっきまでいた浴場
の光景が浮かんだ。乳白色のお湯につかりながら、もうずっと前に貼られた
のであろう紙を、ぼんやりと読んでいた。その紙には、源泉の温度や、
歴史が簡単に紹介されているほか、温泉の効用が書いてあった。
 神経痛、筋肉痛、が最初だった。あとはなんだっけ、冷え性、とか、痔、
なんていうのもあった気がする。疲労、はなかったかな。
 彼が再び唇を重ねてくるまで、わたしは効用を必死に思い出そうとしていた。
きっと一時間もすれば、もっと忘れてしまうであろう効用について。

キミの言うことは信じていたいんだ そう温泉の効用のように(わだたかし


<今月の優秀作>
最後ということで、かなりの増量です!
それでも紹介し切れなかった短歌の作者のみなさん、ごめんなさい。
にしても、ストーリーで使わせていただいたものも含め、不倫短歌が多く感じました!
(ストーリーで使わせていただいたものは、別の読み方もできそうですが)
わたしの前フリのせいでしょうか。すみません。おもしろかったですが。

君からの熱い視線にドッキドキ足湯だからとあなどらないで(たむぼりん)
 足湯、は意外と使われなかったテーマでした。着眼点がいいですね。

温泉も刺身も鍋も嫌いなのそれでも来たの覚悟はいいの?(ぐみ)
 迫るようではありますが、不思議と可愛げを感じます。

する前は別々がいいした後に二人で一緒に入るのがいい(トヨタエリ)
 ストレートなエロティック短歌ですね! ドキドキしてしまいました。

湯けむりに包まれながらふりかえりふりかえり見る君はかなしい(文月育葉)
 温泉そのものが比喩のように感じました。リフレインが、確かにかなしいです。

はあぁってしたら白いよだからキミ草津温泉行ってあげよう(はづき生)
 結句が意外でした。思わずうなずいてしまいそうですね。

指きりをしたままずっと上がれない現実までの時間稼ぎの(西野明日香)
 のぼせそうな雰囲気と、切迫感が重なって伝わってきます。

死ぬんなら今だよきっと 石鹸のにおいをさせて君がわらった(遠藤しなもん)
 結句をわらったとすることで、かえって切実な様子を出していますね。

こんなとき何を話せばいいのよと浴衣で食べるほたての刺身(イマイ)
 さまざまなシチュエーションが浮かんでおもしろいです。

草津の湯でも治らない恋だから敷かれたふとんはふたりのために(こゆり)
 温泉と、不治の病(恋)をテーマにしたものは他にもありましたが、
  この歌が一番素直に表現できているように思いました。

もう既に手遅れですよケータイも繋がりません 浴衣を着よう(伊藤夏人)
 歌の主人公の様子ももちろんですが、相手の反応もいろいろ想像できそうですね。

この星の怒りによって温かいお湯に力をもらって 前へ(虫武一俊)
 温泉を怒りとした発想は、ありそうでいて、唯一のものでした。

草津まで卓球しに来たわけじゃないなんかないわけ楽しいけどさ(さまよい海月)
 少し余分な言い回しや、わけ、の繰り返しが、独特なリズムを作っていますね。

「去年来た」それは隠して喜んでみせる私を仲居が笑う(クマクマ)
 悪女ですね! こうした切り口の短歌は他になかったこともあり、おもしろかったです。

ぬれた髪乾かすよりも大切なことが彼女にあると知る夜(岡本雅哉)
 それはどんなこと、とうっかり想像(妄想?)するのを防げない力がありますね。

かぽーんを聞きにいこうよ どうみても不倫ですっていう顔をして(柚木 良)
 ししおどしでしょうか。後半の奇妙な主張(逆はよくありそう)に惹かれました。

おみやげはほしくなかった そんなこと言えずに笑う2人のそばで(MOMO)
 この歌の主人公は温泉に行っていない、という読みでいいでしょうか。新鮮な視点です。

「あーちょっとぬるいね」「そうね」「あっ月だ」濁り湯の下指を絡ます(スキスキ)
 関係のない話をしながら、というところにリアリティーとエロティックさを感じました。

ほんわりと朝の湯けむりまだ残る余韻のなかで光に溶けた(ソナ)
 湯けむりの幻想的な雰囲気を、そのままうまく使った短歌だと思いました。

効用のあるこの湯のように それぞれの思惑をもつ卒業旅行(このえ)
 卒業旅行というテーマも、絶妙な比喩もよかったです。

お土産を選ぶ君の背 もう少しだけ現実に帰りたくない(都季)
 不倫と読んだのですが、どうでしょう。確かに温泉街って、現実感薄いですよね。

週末は温泉街をはしごする 多分抱かれるためだけにいる(ゴニオ)
 諦めなのか自嘲なのか、あるいは喜びなのか、考えさせられます。

うつりゆく季節をながめてアタシたち温泉のもとになりたかったね(さかいたつろう)
 思わず読み返してしまうほど奇妙な願望に、けれどどこかで共感をおぼえそうです。

温泉に肩までつかり眼鏡ごし曇る未来を それでも見たい(ウクレレ)
 強い決意というよりむしろ、目の前のことに対する丁寧さや堅実さを感じました。

指輪を外してくれても跡がはっきり見えている お湯の中では(安藤えいみ)
 出ましたね、ザ・不倫短歌! 温泉というテーマにもよく合っています。

温泉街の灯りほわんと寂しくて明日には覚める夢を見させて(ほたる)
 覚めない夢ではないところに、冷静さと切実さを感じました。


<お知らせ>
今回、「かとちえの短歌ストーリー」が最終回を迎えるということで、
読者の方から、たくさんのメッセージが届きました。
連載継続を願ってくださる声や、
感謝の声、さらには感謝の短歌などが綴られたそれらは、
比喩じゃなく、涙ぐんでしまうほど嬉しいものでした。
ここで、冒頭でも書きましたとおり、サプライズなお知らせがあります。
そんなみなさんのメッセージのおかげで、
「アンコール連載」を、
あと4回ほど、この場でやらせてもらうことが決まりました!
大げさでもなんでもなく、みなさんからのメッセージが与えてくださった場です。
本当に、心から感謝します。
アンコール連載に全力投球することで、そんな感謝の気持ちを示せればと思います。
詳しい企画につきましては、さらに下で説明させていただきます。


<アンコール連載について>
では、アンコール連載の概要について書かせていただきます。
タイトルは「かとちえの短歌色物語」となります。
みなさんから短歌を送っていただき、
内1首をストーリー化(素敵なプレゼントあり)、
他数首を優秀作として紹介、という流れは現在と一緒です。
大きな変更点としましては、
○募集する短歌は、テーマとなっている色(日本の伝統色)にまつわるもの
隔月更新
4回限定(2009年2月・4月・6月・8月更新)
○更新日が10日→25日(初回は2月25日更新)
ということです。
それでは、さっそく、テーマを発表させていただきます。

<テーマ&かとちえ短歌>
「かとちえの短歌色物語」では、
毎回、ある色(日本の伝統色)をテーマとした短歌を募集します。
第一回目連載で募集するテーマは、
「白磁」です。大まかにいってしまえば、白ですね。
http://www.colordic.org/colorsample/2375.html
白磁という言葉を使わなければいけないということではなく、
その色とイメージが結びつくような短歌を募集します。
雪やシーツなど、白い物体ということでもいいですし、
プラトニックといった、抽象的なものでも、
イメージからずれていなければ大丈夫です。
以下は募集要項です。
2月10日締め切りで、一人2首以内、テーマ記載の上、
ペンネームがある場合はペンネームも添えて。発表は2月25日となります。
→送り先:tanka_57577@3anet.co.jp(第二出版部「かとちえの短歌色物語」係まで。
アドレスの「@」を半角に修正してお送りください)
そして、以下、白磁をテーマに詠んだわたしの作品です。

 

 雪の日に君を思うと初めからいなかったような気がするのはなぜ
                                 
(加藤千恵)
加藤千恵近影

【著者プロフィール】加藤千恵(Kato Chie)撮影/五十嵐和博
1983年北海道旭川市生まれ。歌人。立教大学日本文学科卒。高校生のときに処女短歌集『ハッピーアイスクリーム』(発行・マーブルトロン、発売・中央公論新社)で話題を集める。現在、集英社携帯サイト『theどくしょ』で、自身初となる小説連載を行っているほか、ラジオなどにも出演。詩、書評、エッセイなどの執筆活動も行っている。主な著書に『ハッピーアイスクリーム』(中公文庫)、『たぶん絶対』(マーブルトロン)、『ゆるいカーブ』(スリーエーネットワーク)など。最新刊にカメラマン・タクマクニヒロ氏とのものによる『写真短歌集 放課後』(雷鳥社)。

第11回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“駅”

かとちえの短歌ストーリーバ.jpg

更新日12月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
さっそくですが、とても感動していることがあります。
というのも、先月は、たくさんの誕生日祝福メッセージをありがとうございました!
もちろん全て、ありがたく読ませていただきました。
気になったのは、何人もの方が、
「I(実際はイニシャルではなく別の書き方)さんから聞きました」
というメッセージを添えてくださってるのですが、
Iさんは、もしかして、わたしの誕生日普及委員かなにかなのでしょうか。
ありがとうございます!
あと、テレビ(先月出演した『知るを楽しむ 歴史に好奇心』)の裏側を、
細かく想像して書いてくださったOさん、
正解は、当たらずといえども遠からず、という感じです。
また、可愛らしいバースデーカードを作ってくださった(!)Uさんも、
だいぶ実物より可愛く描いていただき、恐縮です。ありがとうございます!
プレゼントの代わりに『ゆるいカーブ』を買っておきますというIさん
(上のIさんとは別の方です)、それが大きなプレゼントです。ありがとうございます!
お礼を繰り返すしかできませんが、
みなさんのおかげで、すごく幸せな気分で25歳の誕生日を迎えることができました。
それでは、作品にうつります。


<今月の作品> 〜第11回テーマ「駅」
  甘くぬるく
 ロイヤルミルクティーは、やけに甘ったるい。知っていたはずなのに、頼んでしまった
わたしのミスだ。
 部屋の加湿器のことを思った。消すつもりだったのに忘れていた。きっと小さく音を
立てている。アロマ加湿も楽しめる、と入っていた箱に書かれていた白い加湿器は、
彼が会社の忘年会で当てたものだ。ビンゴ王って呼んでもいいよ、と笑いながら
言っていた彼は、加湿器は自分が当てたものだということを多分すっかり忘れている。
だから置いていったのだろう。あの部屋に。わたしも一緒に。
 もう何を言っていいのかわからなくて、早くもぬるくなりはじめた気がする
ロイヤルミルクティーをなんとか飲み干すと、顔をあげた。彼がさっきからこちらを
見ていたことは、気配で知っていた。多分、わたしが顔をあげないことに少々焦って
いるのであろうことも。そのくせ彼は、わたしが顔をあげたことに、驚いた様子を見せた。
「本当にごめん」
 彼の言葉が、昨日やってたドラマの中のセリフみたいに聞こえる。
「何かあったら、いつでも連絡して」
 わたしは何も言わない。ただじっと彼を見た。彼の目にうつる自分の姿を見ようと
思ったけれど、暗くてよくわからない。
「ごめん、もう行かなきゃ」
「わかった」
 久しぶりに出した声は、自分で意識した以上に、はっきりと響いた。まるでわたしが
彼を置いていくみたいに。
 彼が席を立つ。カフェとも喫茶店ともいえないような店の席を。きっともう2度と
来ない。甘ったるいロイヤルミルクティーもこれで最後だ。そう思ってみても、
嬉しいとかせいせいするとかいう気持ちとは、程遠かった。当たり前か。
「加湿器、消し忘れちゃった」
 会計を済ませる彼の背中に言った。え、ああ、と彼は言った。
「あれ、ビンゴで当てたんだよね、そういえば」
 店を出てから彼が言った。うん、とわたしが言う。それから聞いた。
「もらっちゃってよかった?」
「うん、いいよ。使って」
 あっというまに駅だ。彼が立ち止まって、わたしのほうを向いた。
「キスしてくれてもいいよ」
 わざと変な言い方をしたら、そのまま本当にキスされた。人がいっぱいいるのに。
人前では手をつなぐのも、いつもいやがっていたくせに。そのまま強く抱きしめられた。
「ごめん」
 抱きしめられながら聞いた言葉に、もう何も言えなくなる。ただ感触や形や温度を
記憶しようと思って、そうしていた。しばらくして、彼の身体が離れる。
「じゃあ、行くね」
 泣きそうに見えるのは、気のせいだろうか。またね、と言おうと思ったけど、
またねじゃないんだと気づいた。
「体、気をつけてね」
 それだけ言った。彼は頷いて、そっちもね、と言った。やっぱり声が半泣きだ。
 頭をくしゃくしゃとなでられた。じゃあ、と彼が言ったように思ったけど、
空耳かもしれない。改札を抜けていく背中を確認した。振り向いてほしいとも
振り向かないでほしいとも思った。彼は振り向かなかった。
 多分、通行する人たちの邪魔になりながら、わたしはそのまま立っていた。
部屋に戻らなきゃいけないけど、動けない。
 ようやく動き出した方向は、部屋とは逆だった。とにかく改札の向こうにと思った。
知らない駅でも、知ってる駅でもいい。加湿器がつけっぱなしのあの部屋に、
一人で戻るのはいやだった。
 自動改札に、Suicaが入った財布を当てる。予想に反し、ピコーンという機械音と
ともに、目の前で改札扉が閉ざされる。料金不足だ。そうだ、チャージしなきゃ
いけないと思っていたんだ。
 チャージはすぐそこの切符売場でできる。そんなことわかっている。
なのにわたしは、動けない。駅員に声をかけられても、わたしはまだ泣いていた。
涙はどんどん出てくるのだった。

絶対に泣かないはずが改札にまで拒まれてもうダメだった(岡本雅哉)


 

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第10回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“病院”

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更新日11月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
今日(11/10)で25歳になりました。
四半世紀ですね。これからもいろいろ頑張ります。
同じ誕生日の川島なお美さんや糸井重里さんもおめでとうございます。
ところで寒くなってきて、
街にカーディガンを着た男の人が増えたことが嬉しいです。
なぜならカーディガンを着た男の人が好きだから!
理由になってないような理由ですみません。
でも、カーディガン男子好き人口って、
かなりの数がいるんじゃないかとふんでいます。
わたしもです、とか、僕の彼女もです、とか、
いやいや男子はTシャツに限りますよ、とか、
賛成意見・反対意見などありましたら、
ぜひメッセージお寄せくださいね。
(もちろんそれ以外のメッセージも受け付けています!)
それでは作品にうつります。
今回、自分の実際の読み方とは、少しずらした視点で書いてみました。
ちなみに先に言っておくと、作品とカーディガンはまるで関係ありません!

 

<今月の作品> 〜第10回テーマ「病院」
  お姫様
「さくらちゃん来てくれたの? いつもありがとう」
 お見舞いに来たわたしと、持ってきた花を見比べるようにして喜びの声をあげたのは、
奈々のお母さんだ。この人はいつも、実際の歳よりもずっと若く見える。パッチリした
目元は、奈々そっくりだ。もっとも、奈々がお母さんそっくり、というほうが正しいん
だろうけど。もう帰るところだったようで、ベージュのジャケットを羽織っている。
「いいえ。具合は、大丈夫ですか?」
 言いながら、ベッドの上の奈々を見た。どうやら眠っているようだ。
「うん、もうすっかりいいみたいで、明後日くらいには退院できるでしょうって。お昼
ももう、普通の食事になったみたいだし。奈々、さくらちゃん来てくれたよ。奈々?」
「あ、起こさなくていいですよ! 少し待ってみて、起きなければ手紙置いていくんで」
 思わず早口になってしまった。奈々のお母さんが、少しだけ首をかたむけながら、言う。
「そう? そろそろ起きると思うんだけど」
「いいえ、大丈夫です。あの、ちょうど帰られるところだったんですか?」
「そうなの。そろそろ夕飯の準備もあるし。さくらちゃんがせっかく来てくれたところで、
なんだか申し訳ないんだけど……」
「あ、ほんとに全然気にしないでください。花もいれておきますね」
 傍らの花瓶を示しながらそう言うと、奈々のお母さんは、そう? とか、でも、とか
申し訳なさそうな様子で言い、最後まで、ごめんねを繰り返しながら病室を出ていった。
 窓からは強いオレンジの光がさしこんでいる。起こさないようにしながら、内側の
レースのカーテンをひいた。花瓶に水を入れ、持ってきた花をさすと、もうすることが
ない。椅子に座って、奈々の寝顔を見る。
 普通の食事ができるようになったということだし、具合はいいのだろう。寝顔も健や
かに思えた。急性胃炎と聞いてびっくりしたけれど、そんなに長く入院することもなく
てよかった。
 奈々が寝返りをうつ。起きるのかと思いきや、まだ眠っているらしい。早く起きれば
いいのに。さくらいたのー、と奈々は嬉しそうに言ってくれるだろう。今日、学校で起
こった出来事を話したい。根元先生の出す眠気オーラの強さとか、紺ちゃんのサーブの
入らなさとかについて。そして奈々が笑ってくれればいい。
 けれど一方では、ずっと寝顔を見ていたいと思った。
 椅子から立ち、ベッドに近づいた。寝息を立てる奈々の頬に、人差し指で触れてみる。
まつ毛の長い、色白の奈々は、童話に出てくるお姫様みたいだ。顔を近づけようとした
けれど、さすがに言い訳が見つからないので、椅子に戻った。
 本当は友だちなんかじゃない。奈々のことが、好き。

そうやって寝顔を睨み続けてる 王子様にはなれない彼女(三崎利佳)


 

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第9回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“橋”

かとちえの短歌ストーリーバ.jpg

 更新日10月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
この秋のわたしの目標は、
コンビニやスーパーで、
秋限定の、あらゆる栗スイーツを制覇することです。
まだ近くのお店しか行けてないので、頑張ります。
ところで、この「かとちえの短歌ストーリー」で、
ある法則が存在していたこと、みなさんご存知でしたでしょうか。
それは、「ストーリーに採用される短歌の作者は女性」というものです。
というのも、今回メールでそれをご指摘くださった方がいらっしゃって、
「えー、ほんとに?」と思いつつ、過去の連載を見てみると、
名前や短歌の内容から判断するに、確かに女性の作者ばかりでした。
(実際には男性の方がいらっしゃったらすみません!)
やっぱり同性のものをついつい選んでしまう傾向があるのだろうか……
と思ったのですが、単純に、投稿者の割合として、女性の方が多いことが
関係しているのかもしれません。
いずれにしても、「女性のものしか選ばない」なんてことはないので、
今後も男性投稿者の皆さん、変わらずに投稿してくださいね! もちろん女性も!
そして、その法則、今回で破られる……かも? それでは作品にうつります。

 

<今月の作品> 〜第9回テーマ「橋」
  橋のある街
 日曜日、図書館の自習室は、受験生で埋め尽くされている。あたしたちも
また、例外ではない。
「出ようか」
 卓磨が小声で言う。タイミングを合わせたかのように、閉館時刻が迫っている
ことを知らせる音楽とアナウンスが聞こえてくる。うなずいて、あたしは机の上
に開いていた世界史の問題集やノート、筆記用具を、バッグにしまいこむ。
 立ち上がると、背中と腰に鈍い痛みがあった。体が重たいんだけど、と言いながら、
自習室を後にする。いつもなら、体力落ちてんじゃないの、などとかわいくない
ことを言う卓磨が無言だったので、少しだけ、あれ、と思った。かといってもちろん、
繰り返すほどのことではない。
 図書館のガラス扉を開け、外が思いのほか暗くなっていることに驚きながら、
駐輪場に向かった。チャリのカギが見つからなくて、焦りながら探していると、
卓磨が言った。
「あのさ、まだ時間平気? ちょっと散歩しない?」
「散歩? いいけど。チャリ置いて? っていうか、どこに?」
「うん、チャリは置いて。ちょっとそこの川原行こうよ」
 あたしの答えを聞かずに、卓磨が歩き出すので、あわてて後を追う。

 川原は、図書館からなら歩いて5分ほどだ。歩いている間も、川原に並んで
座り込んでからも、口を開かない卓磨の様子に、あたしは不安をおぼえる。寒さも
増してきた。
「ねえ、なんか卓磨、今日変じゃない? どうしたの?」
 卓磨は、しばらく川を見たまま黙っていたけれど、ようやく口を開いた。
「あのさ、俺、受験なんだけど、東京の大学受けるつもりなんだ」
「は? え、どういうこと?」
「隠してて、ごめんなさい」
 卓磨が突然立ち上がり、身体ごとあたしの方を向くと、頭を下げた。暗くて、
表情がよく見えない。あたしは、え、何、という、意味のない単語を繰り返す。
卓磨は動かない。とりあえず座って、と言うと、本当にごめん、と言いながら
卓磨は腰をおろした。心なしか、さっき並んで座っていたときよりも距離が
開いてしまったように思えた。
 少し遠くに、橋が見える。そう大きくない橋だ。
 この街は、周囲を大きな川に囲まれるようにして存在している。だから橋も
多い。他の街に行くためには、あたしたちは橋を渡る。時には電車で、時には
車で、時には歩いて。
 けれどあたしが、本当の意味で橋を渡りきることなんてないのだと思っていた。
3ヵ月後に控えた大学受験。あたしが受けるのは、本命の国立大学と、滑り止め
の女子大、2校だ。どちらもこの街の中にある。浪人したら、この街の予備校に
通うことになるのだろうし、どちらを卒業しても、この街の中で就職するのだろう。
そして結婚して、子どもを作って、この街で暮らしていくのだ。それはもう、
希望とか想像じゃなくって、もっと決まったことのように思える。廊下を走っては
いけません、とか、家に帰ったら手洗いとうがいをしましょう、とかそういうこと
に近い感覚で。
 なのに、卓磨は。
 風が吹いた。寒い、と言おうとしたけれど、声にならない。目の前の景色が、
少しずつぼやけはじめる。

鉛筆をころがした冬 あの橋を渡れなくって泣いたんじゃない
                               
(虫武一俊)

 

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第8回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“部屋”

かとちえの短歌ストーリーバ.jpg

更新日9月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
夏―!(多分この挨拶を使うのは、今回が今年最後……だと思います)
暑すぎだった8月、みなさんはどのように過ごされたのでしょうか。
わたしの8月は、甲子園観戦と北京五輪観戦で過ぎていきました。
当然、どっちもテレビですけど。
スポーツ、昔はまったく興味がなかったんですけど、
ここ数年、夏の甲子園は、かなりの楽しみとなっています。
自由業であることに感謝する季節です。
(一方、周囲の友だちが、ボーナスの話をしていたりするので、
自由業であることをくやしがる季節でもあります)
ちなみにプロ野球では日本ハムを応援しています。
北海道だからという、選手やプレーとは全然関係のない理由ではありますが。


<今月の作品> 〜第8回テーマ「部屋」
  部屋に行くまでは
 二杯目のカクテル(なんとかミルク、だった気がする。名前を憶えていない
けど、目の前のグラスに入ったそれはピンク色だ)を飲みながら、エリコが何か
言いたげにこちらを見る。頬が少しだけ赤いのは、早くも酔っているからだろう。
三杯目のビールを飲みきってから、なんかあったの、と聞いた。もっとも、
聞く前から察しはついている。
「別に気にすることじゃないだろうな、とは思うんだけど」
 そう言って、また口をとじた。早く聞きたい気もするけれど、せかすのもいや
だったので、ポテトをつまんだ。ここのポテトは、ニンニクと塩こしょうが
きいていて、うまい。しばらく沈黙が続いた後、ようやくという感じで、エリコ
が続きを話す。
「最近、ヨシフミさんがちょっと変なんだ。行動がおかしいっていうか……。
土日とか、一緒に家で過ごしてても、やたら外出するんだよね。飲み物買って
くるとか言って、飲み物あるじゃんって言っても、いや別のが飲みたいからって、
冷蔵庫に入ってないものを買いに行くんだよね。コーヒーがあるときは紅茶、
紅茶があるときはコーヒー、とかいう感じで。しかも、コンビニなんてすぐそこ
なのに、長いときは三十分くらい戻ってこなくて、すごいあやしいじゃん? 
聞いたら、雑誌読んでたとか言うんだけど。絶対携帯電話持っていくし」
 さっきの沈黙を取り返すかのように、勢いよく話すと、ふう、とため息のよう
な呼吸をついて、なんとかミルク、を再び飲んだ。
「それは、気にすることだろう」
 何を言っていいかわからないので、仕方なくそれだけを言うと、やっぱりそう
かな、とエリコは小さく笑った。俺は思わず苛立ってしまうけれど、苛立ちが、
エリコに対してのものなのか、「ヨシフミさん」に対してのものなのか、
あるいは自分自身に対するものなのかわからない。どれも違うし、どれも正解
なのだ、きっと。
「気になるなら、ついていってみればいいじゃん」
俺の提案に、エリコはすぐさま言葉を返す。
「そう思って、何度か言ったの。じゃあわたしも行こうかなとか、代わりに
行ってこようかとか。でも、いやいいよ、みたいに軽―く流されちゃって。
こっちも、そんなしつこくするのも変じゃん? 気まずい雰囲気になっても
いやだし。だから結局はあきらめちゃうっていうか」
 っていうか、で話を終わらせる口癖は数年前から変わらない。
「別れりゃいいのに」
 思わずこぼれた俺の言葉に、エリコがさっきよりもはっきりと笑う。けれど、
痛々しい笑顔だ。少し痩せたかもしれないな、と思った。聞こうかとも思った
けれど、会って何時間も経つのに、と言われるのがあまりにも目に見えている
のでやめた。
「別れた方がいいのかな。やっぱり」
 さっきまで笑っていたはずのエリコの声のトーンが、一気に落ちる。慌てて
表情を確認すると、うつむいていたので、やばい泣くかも、と思ったけれど、
エリコはすぐに顔をあげて、メニューを手に取った。次は何飲もうかな、と言う
声は明るいけれど、もちろんわざとそういう声を出したのだとわかった。
 別れろよ。俺と一緒にいればいいじゃん。
 俺は言う。心の中でだけ。今までにもう何度も繰り返した言葉を。
  けして実際に口に出すことはないであろう言葉を。

「送ってくよ」せめてマンション前までは そこから先はあいつが待ってる
                                     
(さくら)


 

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第7回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“ファミレス”

かとちえの短歌ストーリーバ.jpg

更新日8月11日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
夏―!(はやってるという話は聞きませんが、とりあえず夏の間は使い続けます)
今回、ファミレス短歌を募集した際、いただいたメッセージの中に、
「かとちえ師匠はどこのファミレスファンですか??」というご質問が
ありました。
いつのまにわたしに弟子がいたのだろう、という疑問はさておき、お答えします。
「びっくりドンキー」です。
ファミレス界に敵なし、ダントツです。
というか、ファミレスに限らず、好きな飲食店、というテーマでも、
かなり上位にランクインしそうなくらいの勢いで好きです。毎日でも
食べたいです。
ちなみに注文の内容は、高確率で、
チーズバーグディッシュ(150グラム)とメリーゴーランドです。
しかし東京23区内にはあんまりないんですよねー。悲しい。
ここをご覧のびっくりドンキー関係者の皆さんは、
ぜひ都内出店を検討していただきたいです。通います。
なんなら300グラム食べます。

<今月の作品> 〜第7回テーマ「ファミレス」
  ドリンクバーで
 来週のゼミで発表をすることになっているのは、わたしを含め、男女四人
のグループだ。男ニ名、女二名と、バランスはばっちりだけど、全然甘い
雰囲気なんて生まれないまま、図書館で黙々とプリントを作った。コピーした
紙の切り貼りや、いくつかの現代語訳を見比べて違いを探すという作業を、
もういいかげん投げ出したくなった頃になって、図書館の閉館時間が来た。
半分ちょっとしか進まなかったけど、しょうがないね、明日からまた頑張ろう、
とお互いを励まし合いつつ、図書館を出る。
 出てすぐに解散かと思いきや、一人の男の子が、超腹へったんだけど、誰か
何か食っていかない、と言い出した。言われた途端、自分がひどく空腹なこと
に気づいた。結局、バイトがあるというもう一人の男の子を除き、三人で
ごはんを食べに行くことになった。先頭となったのは、言い出しっぺの男の子だ。
何も言わずに後ろを歩いていく途中で、あれ、もしかしてこの道って、と思い
始めたけれど、確認するのも不自然なので、ただただ歩く。着いたお店は、
案の定ファミレスで、口には出さずに、あっちゃー、と思った。
 こないだ別れたばかりの彼との、思い出積もりまくり、っていうか付き合い
だしたのも別れ話になったのもこの店内でのことだ。大学から一番近いファミ
レスだし、確かに無理もないけれど、まさかこんなに早いうちに、再び足を
踏み入れることになろうとは。というか、店ごと封印したいくらいなんですけど、
などと、やっぱり口には出さない思いが、どんどん頭の中で積もっていく。
 何気ない顔をしながら、何気ない声で、何気なくドリンクバーとシーフードの
パスタを注文した。注文を取りに来たバイトの女の子は、もう何度も見かけた
ことのある子だったけれど、そんなことはおくびにも出さずに、ここには初めて
来た客であるかのようにいた。
「ドリンクバーは、あちらのグラスをお使いください」
 というその女の子の言葉に、知ってるよ、と思いながらもうなずき、さっそく
他の二人と一緒にドリンクを取りに行った。すっかり見慣れたドリンクバー。
悩む前に、体が動く感じだ。グラスを持って、席へと戻る。
 遅れて戻ってきた二人と、注文した食事を待ちながら、ゼミの話や大学の話
をする。男の子が松浪くんという名前であることを、ようやく認識したけれど、
何度も松田くんと言ってしまい、本人にはもちろん、隣に座るめぐちゃんに
まで笑ってつっこまれてしまう。
 思い出深い店にいるせいか、あるいはあまり話したことのない人たちといる
せいか、やけに喉が渇く。何度目かのドリンクバーから戻ってきたとき、
めぐちゃんに聞かれた。
「コーラ、好きなの?」
「え、普通かな。なんで?」
「さっきからずっとコーラじゃん」
 言われて、自分がコーラを飲み続けていることに気づいた。最初から今まで、
コーラ以外のものを飲んでない。
 この店に彼と来るときはいつも、ドリンクバーは一つだけ頼み、一つのコップ
を使って、二人で飲んだ。絶対ばれないから、という彼の言葉どおり、確かに
店員に注意されたことはなかった。そして、彼が飲むのはきまってコーラだった。
たまにはコーラ以外にしようよと言って、別の飲み物を持ってきても、次は結局
コーラを飲むことになる。そのうちに、わたしのほうが折れて、ここでは常に
コーラを飲むようになった。そのうちに、グラスに氷を入れて、コーラのボタン
を選ぶのが、あまりに当たり前の動作として身についていたのだ。そのことに、
ようやく気づいた。
「ほんとだ。ずっと、コーラだったね」
 わたしの言葉に、二人が笑う。天然なんだねー、と言われて、わたしも笑う
よりほかない。見たことのあるバイトの男の子が、このテーブルにパスタ皿を
持ってくるのを横目で確認しながら、今日何杯目かのコーラを口に入れた。

涙した水分を取り戻すように17回目のコーラをおかわり
                                                                      (帖あやこ)

 

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第6回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“プール”

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更新日7月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
夏―。(という挨拶はどうでしょう。どうでしょうって聞くまでも
ない感じですが)
今回のテーマは「プール」ということで募集していた短歌ストーリー
ですが、実はわたし自身はカナヅチです。まるで泳げません。
どのくらい泳げないかというと、
プールや海に行く前、一緒に行く予定の友だちと、
「わたし泳げないんだよね」「わたしもだよー」とか話していて、
行った後にはその友だちが、
「本当に泳げないっていうのは、千恵みたいなことをいうんだね。
それに比べると、わたしは泳げてた。ごめん」というようなことを
言い出すくらいです。
そういうことも1度や2度じゃないです。
でもくじけずに今月の作品にいきます。

<今月の作品> 〜第6回テーマ「プール」
  焼けるまで
 日に焼けたら髪がいたむし、肌も赤くなるし、人もやたらと多いし、
そもそも暑いし、めんどくさいと言っていやがるあたしの言葉なんか、
全然聞いてないって感じで、最後は結局、こっちが折れることになる
のだ、絶対。
 水曜だしすいてるんじゃねーの、と言ったケンタの予想は、案の定、
大きくはずれて、プールは混みまくりだ。ほらやっぱり夏休みだし、
すいてるわけないじゃんと言うあたしの横で、最初はやっぱスライ
ダーからせめていくか、あー、流れるプールもいいな、なんて独り言
を続けている。明日も朝からバイトなんだから、はしゃぎすぎない
ようにしなよ、と言うと、そこだけはしっかりと、大丈夫だって、
と歯まで見せるように笑って答える。
 高校時代のケンタの、体育での張り切り具合を思い出す。他の科目の
授業ではほぼ例外なく眠っているくせに、体育だけは、別人みたいに、
明るく動き回っていた。体育館内、半分に区切られた隣のスペースで
授業を受けている女子の間でも、ケンタって体育の時間だけは頑張り
まくってるね、と話題になって笑われてしまうほどに。あれから三年
ほどが経ち、ケンタがフリーターとなり、あたしが大学生となり、
あたしたちが付き合うようになった今も、全然変わらない。
 着替えを済ませて、更衣室を出ると、ケンタが待っていた。遅いなー、
と言いつつ嬉しそうなのは、これから泳ぐのが本当に楽しみだから
だろう。
 改めて外に出ると、肌に強い熱を感じた。日焼け止めはしっかり
塗ってきたものの、帰る頃には赤くなってしまいそうだ。改めて、
少しだけ文句を言おうと思って、隣のケンタに目をやると、ちょうど
彼も、笑いを貼りつけたままこっちを見た。
「早く行こう。スライダーが俺を呼んでる気がする」
 呼んでないよというあたしのつっこみもろくに聞かずに、そのまま
嬉しそうに歩いて行くので、口から出かけた文句は、そのまま行き場
を失ってしまう。小走りで後を追った。

 はしゃぎすぎないようにというあたしの忠告なんてなかったみたい
に、さんざん泳ぎまくって走りまわったケンタは、帰りの電車内、
隣の席に座って、眠いという言葉を連発している。実際、見るからに
まぶたが重そうで、今にも眠ってしまいそうに見える。うっすらと
赤くなった腕をこすりながら、言った。
「だから、はしゃぎすぎないようにって言ったのにー。明日のバイト
起きられるの?」
「まじ無理。明日のことは考えたくない」
「だめじゃん」
 そう言ったわたしの肩に、ケンタが頭を乗せる。完全に寝る気だ。
仕方ないと思いつつ、髪をゆっくりなでたときに、ケンタが目をとじた
まま、言った。
「今日、すごい楽しかった。次は海行こうよ」
「ケンタ、はしゃぎすぎるから、やだよ」
「えー、なんでだよ」
 答えるケンタは、きっと一分後には眠っているだろう。ほんと仕方
ないなあ、と再び思いながらも、今日、スライダーで二人でくっついて
滑ったことや、流れるプールで流されていたケンタの表情なんかを
思い出して、思わず笑ってしまいそうになった。全然人の話を聞いて
いない、運動が好きなケンタ。
 ビーチサンダル、去年のはだめになっちゃったから、新しいの買いに
いかなきゃ。ケンタの髪に触れながら、あたしも目を閉じた。

ビーサンの形に日焼けをするだろう君とわたしを今年も見たい

                              (安藤えいみ)

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第5回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“スーパー”

かとちえの短歌ストーリーバ.jpg

 更新日6月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
前回書いていた引越しは、無事に終わったものの、
部屋の片隅に置かれたままの、
開けていない段ボールを見て見ないふりする日々です。
そして、唐突な宣伝になりますが、
7月6日(日)に、歌人の天野慶さんと、渋谷でトークイベント
を行います。
詳細は随時、わたしのブログ「とぎれた日々の前に立ち止まる」、
http://d.hatena.ne.jp/chiekato/
で更新予定ですので、どうぞご確認ください。
多くの人にお会いできることを願ってます! ぜひ! ぜひぜひ!
来てください!
それでは、今月の作品にうつらせていただきます。

<今月の作品> 〜第5回テーマ「スーパー」
  味方だった

 深夜まで営業しているスーパーは、わたしの味方だった。
ヨシノブと暮らすようになって、わたしは駅前のスーパーに通い
はじめた。今までは近所のお弁当屋さんやコンビニで済ませていた
夕食を、きちんと自分で作るようにしたからだ。仕事帰りに、慌た
だしく店内を回った。入り口のところに置かれている数種類のレシピ
カードを参考に、材料をそのまま買うこともあれば、とりあえず目
についた特売品を買って、ビニール袋を抱えた帰り道で、何をつく
るかを必死になって考えることもあった。ヨシノブが夕食を準備
してくれることもあった。たいていはカレーだったけれど、すごく
おいしく感じられたのは、彼のことが信じられないくらい好きだっ
たからだろう。
 苦手だったみじん切りの速度があがり、冷蔵庫にあるものだけで
うまく献立を組み立てられるようになった頃、ヨシノブはわたしの
部屋を出て行った。他に好きな子がいるのだと言った。自分がどん
な返事をしたかは憶えていない。わたしが状況を飲み込めていない
まま、彼は新たに部屋を借り、引越しをした。引越しの日が、やけ
に晴れていたことだけは、記憶にしっかりと残っている。
 仕事は休まなかった。それほど忙しい時期でもないし、有給だって
残っている、にもかかわらず。旅行にでも出かけてくれば、と何人
かの女友だちに提案されたけれど、あいまいに首を振った。怖かった
のだ。ヨシノブがいないということが、わたしの失恋が、一気に受
け入れなければいけない現実になってしまいそうで。ぼんやりと日々
をやり過ごしていくことのほうが、よっぽどよかった。
 深夜まで営業しているスーパーは、わたしと無関係なものになった。
 毎日の習慣となっていた料理なのに、しなくなるのは簡単だった。
圧力鍋も、フードプロセッサーも、棚の奥深くにしまいこみ、やが
て忘れた。あんなに食材が詰まっていたことが嘘のように、冷蔵庫
はからっぽであることを当然みたいに受け入れていた。ずっと前か
らそうでしたよ、と言わんばかりに。コンビニのお弁当の味にも
すっかり慣れ、そして飽きた。
 引越しのときのようによく晴れた日を何度も十何度も過ごして、
気がつけば季節が変わろうとしていた。仕事は忙しい時期に入り、
残業も当たり前となっていた。
 なんとか座れるくらいの混み具合の電車に乗って、最寄り駅に
帰ってきたとき、なんとなく立ち寄れずにいたスーパーに、なん
となく立ち寄れる気がした。実際、そうした。レシピカードには
目もくれず、カゴを持って、野菜売場から進んでいくことにした。
 深夜まで営業しているスーパーは、わたしの味方だ。
だけど、あの頃とは違う。緑のカゴに入っているのは、ひき肉と
卵と玉ねぎじゃなくて、冷凍食品のハンバーグ。じゃがいもと
きゅうりとハムじゃなくて、出来合いのポテトサラダ。
あの頃よりも、カゴの中身は明らかに軽くなっているのに、腕が
重く感じられて、わたしは立ち尽くす。明日も仕事なのに。早く
帰ってごはんを食べて、お風呂に入って眠らなきゃいけないのに。

冷食と惣菜でカゴを埋め尽くした やっぱり君がいなくちゃだめだ

                                (ろくもじ)

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第4回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“会社”

かとちえの短歌ストーリーバ.jpg

更新日5月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
結局サテンのジャケットも深緑のトレンチコートも手に入れていないまま、
春を終えようとしています(前回の「ご挨拶」参照)。
近いうちに引越しをする予定があって、
《手持ちの物を減らそうキャンペーン》実施中なので、
(キャンペーン、というか、そのまんまの内容なんですけど)
まあ、仕方ないよねー、と思ってみてはいるものの、
多分夏になるまでは、というか夏になっても、
しばらく「春物……」とか思っちゃったり言っちゃったりしてると思います。
にしても引越しのこと考えると、憂鬱です。
たくさんの物が溢れかえる押入れなどを見ていると、
ああ、いっそこのままここで埋もれてしまって構わない、という気分にすらなります。
ですが、気を取り直して、今月の作品にうつらせていただきます。

<今月の作品> 〜第4回テーマ「会社」
  営業会議
 誰にも気づかれずに始まった恋は、誰にも気づかれずに続き、数日前、
誰にも気づかれずに終わった。わたしと彼しか知らない。わたしが彼を
どんなに好きだったか、彼がわたしをどんなに好きだったか、お互いが
どれほど苦しかったか、お互いがどんなに求め合っていたか、全部、二人
だけの秘密だ。
 恋が終わったって、世界が終わったわけではない。わたしは今日も満
員の通勤電車に乗って、会社に行く。電車も、風景も、会社も、わたし
が彼と恋をしていた頃と何ら変わりはなくて、それは優しいことのよう
にも冷たいことのようにも思える。
 水曜日の営業会議のことは考えないようにしていた。普段は離れた場
所で仕事をしている営業一課の彼と、この日は近くで向き合うこととなる。
けれど、考えないようにしているからって、逃げられるわけではなくて、
結局わたしは、いつもの席に普段と変わらない様子で着席する。
 そして彼もまた、恋が終わったからといって、消えてしまうようなこ
とはなくて、たった今も、三十人ほどがいる会議室で、わたしの左斜め
に座って、一人一人に渡された用紙に目を落としている。わたしも同じ
ようにしようとするのに、円グラフや、グラフについての説明が書かれ
た、肝心の内容は、ちっとも頭に入ってこない。それよりも、彼の青い
チェックのネクタイがバーバリーのもので、彼の叔父さんがくれた商品
券で買いに行ったものであるという、まるで関係ないことばかりを思い
出してしまう。
 付き合っているとき、この週に一度の営業会議のことを、よく話題に
あげた。
「会議、ほんとにめんどくさいよな」
「ねー。わたしなんて、営業第二課って名前がついてるだけで、実質事
務だし、話題も全然わかってないよ」
「俺は営業だけど、わかってない。自分が発表するときは、超焦ってな
んとか形だけ整えるけど。質問とか来るなよって思ってる。おれに聞く
なよ、って」
「じゃあ今度、質問しよっかな。このデータの信頼度を正確に述べてく
ださい、とかって」
「うわー、それ完全に嫌がらせだな」
 笑いながら話していたことを、彼はどのくらい憶えているんだろう。
「で、今の段階では、これに関してはペンディングとなっています」
 発表担当者である同僚の声が、突然耳に飛び込んできた。もちろん突
然ではなく、彼はずっと話し続けていたのだ。わたしの意識がずっと遠
ざかっていただけで。誰にとがめられたわけでもないけれど、気まずい
思いを抱えつつ、あらためて配られた用紙を読む。
「で、次の項目にうつるんですけれども」
 担当者の声を合図に、一斉にみんなが紙をめくる。紙の音が会議室を
満たす。
 一瞬、顔をあげると、左斜め前で、同じように紙をめくった直後の彼
と目が合った。あまりに思いがけないものだったので、目を離すことが
できなくて、瞬間、見つめ合うような形になった。
 そらすより先に、そらされた。視線を用紙に戻した彼の表情は、何事
もないように見えた。突然、言いたいことが、決壊したみたいにあふれ
でてきた。だけど、言えるはずがなかった。そもそも、本当に言いた
いことなのかも、わからなかった。
 会議中、よく、目を合わせていたことを思い出した。たくさんまばた
きをしてみたり、口をとがらせてみたりして、お互いに笑いそうになっ
てしまうことすらあった。隣の席の人に気づかれたのではないかと思い、
ひやひやすることも少なくなかったが、決してやめたりはしなかった。
わたしたちは完全に、状況をおもしろがってみせていた。誰と戦ってい
るわけでもないけれど、ずっと味方で、共犯者だった。
 わたしたちの恋が終わっても、週に一度の営業会議はなくならない。
担当者は、発表を終わらせかけているところだ。

目配せで交わした会話を思い出し書類の文字がにじむ会議室

                                 (ななひまわり)

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第3回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“水族館”

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更新日4月10日 

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
北海道(旭川)で過ごしていた頃、四季という感覚はあんまりなくて、
季節は夏と冬だけで構成されている感じでした。
なので東京に来て、デパートなどで春物が並んでいるのを見て、
自分の服に、春物という概念がなかったことに、ちょっとショックを受けました。
その反動のように最近は、春物を見るとついつい惹かれたり買ったりしてしまいます。
ちなみに今年狙いをつけているのは、サテンジャケットと深緑のトレンチコートです。
繰り返しますが、サテンジャケットと深緑のトレンチコートです。
と意味のないアピールを終えたところで、今月の作品にうつります。

 

<今月の作品> 〜第3回テーマ「水族館」
  ガラス越し
 水族館に行こうよ、と言い出したのは彼のほうだった。
「水族館? どこの?」
「前に行ったあそこ。で、帰りにタルトのお店寄ろう」
「あー……、うん、いいけど」
「けどって何だよ。大体さあ」
 わたしと目が合って、彼の言葉が止まる。目をそらしてから、
行くなら準備しちゃおうよ、と言う。わたしも、彼が言葉を
濁したのと多分同じ気持ちで、大体なんなのとか、自分だって
微妙な返事すること多いじゃんとか、浮かんだ言葉は口に出さ
なかった。うん、とだけ返して、支度にとりかかる。歯を磨く
ために立ち上がった。

 休日の水族館は、家族連れでにぎわっていた。家族5、カップル3、
女同士1、不明1、男同士0くらいの割合だろうか。どう思うかを、
隣でパンフレットを眺めている彼に聞こうとして、やめた。代わりに
別の言葉をかける。
「なつかしいね」
「久しぶりだよなー。こないだは2年くらい前だっけ」
「そんなに経つんだね」
 こちらにはまるで興味のない素振りで進むマンボウや、裏側が
顔みたいに見えるエイ、見ていると目がちかちかしてきそうな
熱帯の魚。わたしが立ち止まるのにも関係なく、さっさと歩いて
いってしまう彼の背中を気にしながらも、示された順路どおりに
進んでいく。見た水槽の数に比例するように、前に来たときのこ
とをはっきりと思い出していく。
 付き合って間もない頃だった。季節は夏で、彼は淡いイエロー
のTシャツを着ていた。おそるおそるという感じで、手をつながれた。
手のひらが少し汗ばんでいることが、ものすごく恥ずかしかった。
魚ひとつひとつに対して、こいつはすぐに食われそうだなとか、
おいしそうに見えないとか、意味のない勝手なコメントを繰り返し
ては、くすくすと笑った。
「ねえ」
「え、何?」
 すっかり回想にひたっていたので、突然話しかけられて驚いて
しまう。同時に、この人はわたしの存在を忘れてたわけじゃないのか、
とも思った。
「アナウンス聞いてた? ペンギンのごはんタイムやるって。見に行く?」
「うん、せっかくだし行こうか」
「ん」
 聞いておきながら、大して興味を惹かれていない様子で彼が答える。
どうしてなの、と言いたいような気持ちになった。水族館だって、
もともと、そっちが言い出したことなのに。そんなに楽しくないんだったら、
家で雑誌でも読んでればよかったじゃん。
 何も言わないまま、わたしたちはペンギンエリアへと進む。途中、
つながれることのない右手を、ジーンズのポケットにしまいこんだ。

 ガラス越しに、ペンギンの泳ぐ様子が見えるようになっていた。
 係のお姉さんがバケツから取り出して投げた魚に、一斉にむらがる
ペンギンの様子を、見ている人たちが笑い合う。すごいねーすごいねー、
という子どもの声が聞こえる。デジタルカメラや携帯電話を向けて、
撮影している人も大勢いる。そんな中でわたしたちは、ただ黙って、
ペンギンを見ている。相変わらず興味のなさそうな様子で、よく食うなあ、
と彼がつぶやいた。
「ねえ、もうだめだと思う」
 ぽつりとつぶやくと、彼が、なに、とちょっと怒るような口調で訊ねて
きた。本当に聞こえなかったみたいだ。周囲は騒がしいし、無理もない。
「全然楽しくないじゃん。もう、だめだよ」
 ガラス越しのペンギンを眺めながら、わたしは言った。彼の言葉より
も先に、それでは本日のごはんタイムは、こちらで終了とさせていただ
きまーす、という明るい声が耳に入る。

ペンギンは飛べない鳥だというだけで笑いあったねふたりでいれば
                                                         (敷島ヤマト)

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第2回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“坂”

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更新日3月10日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
暦の上では春ですが、全くあったかくないですよね!!
2月中旬に、友だちと函館旅行したのですが、
あまりの寒さに、よく生きて帰ってこられたな、という気持ちになりました。
函館山からの夜景は、世界三大夜景というより、
世界三大吹雪というのを実感しました。
でも食べ物が本当においしかったし、街並みも綺麗で、
すごく楽しい旅行だったのですが。また行きたいなー。
あと今回、投稿された中に、偶然にも、函館が出てくる短歌があったりして、
なんだか嬉しかったです。下で紹介させていただいてます。
(もちろんその偶然だけでなく、内容に惹かれたんですけど)
ではでは、今月の作品にうつります。


<今月の作品> 〜第2回テーマ「」〜

  転がっていく

 足は冷やさない方がいいよと彼がしつこく言うので、わたしは思
わず怒った。そうだね、足は冷やさない方がいいし、不倫はしない
方がいいよね、という嫌味を付けて。
「祐子はまたすぐにそういうこと言うんだから」
「だって嫌いなんだもん、靴下」
「だからって、不倫とか持ち出すことないでしょう」
 むしろなんだか楽しそうな様子で、彼はわたしのほっぺを軽くつ
ねった。子ども扱いじゃん、と思いつつも、わたしはわたしで、そ
んなに嫌な気はしなかった。
「今度、室内履き買ってあげるね。あったかいスリッパとか」
 そう言いながら帰り支度をする彼に、どうせ買ってもらうならプ
ラダの靴とかがいいなあ、と返した。じゃあ白い室内履き買って、
黒いマジックでプラダって書いてやるよ、という彼の言葉は、付き
合い程度に笑って流した。
 狭い玄関で、軽くキスをしてから、彼は帰っていった。途端に、
足の裏からフローリングの冷たさが伝わってくるような気がして、
室内履き、ほんとに買ってもらおうかな、と思い直した。

 翌日の夜になって電話がかかってきたので、やっぱり室内履き買
ってほしいな、とお願いしようと思ったのに、もしもし、という声
だけでもう、そんな状態じゃないのがわかった。
 単純な話だった。奥さんにバレたから、もうわたしとは付き合え
ない。わかりやすく、シンプルで悲しい話。冗談だったらいいのに
なあって思いながら、今にも泣きそうな彼の声を聞いていた。わた
しだって泣きたいけど、うまく涙なんて出てこない。
 何を言ったのかもよくわからないまま、切れた電話とわたしが部
屋に取り残される。自分がどんな相槌を打ったのか、すぐさっきま
でのことなのに思い出せない。何を言ったとしたって、どうしよう
もなかったということだけはぼんやりとわかっていた。
 信じられない。
 不倫なんていう言葉から、ずっと遠く離れた関係のように思って
た。わたしが彼を好きで、彼がわたしを好きで、だけどたまたま、
彼が結婚してるっていうだけで。だからこそ、ネタにして笑いあう
ようなこともできたのに。
 信じられない。
 奥さんにバレたからって、簡単に別れてしまうことができるだな
んて。だってあんなに好きとか大好きとか愛してるとかずっと一緒
にいたいとか離れたくないとか、そんなふうに交わした言葉たちは、
一瞬にして嘘になったり、消えてしまうようなものじゃなかったは
ずなのに。
 信じられない。
 いつか結婚したいとか子どもが欲しいなんて思ってないし、ただ
ずっと、手をつないでいたかっただけなのに。不可能なことじゃな
いと思っていたのに。
 信じられない。
 わたしと彼の恋は、あくまでもわたしと彼の恋であって、誰かが
そこに介入したりできるものじゃないのに。
 信じられない。
 いつまでも、どこまでも、行ける気がしていたのに。見たことも
ないような場所まで。それがたとえ、どんなにひどい場所であって
も、2人なら、なんとかなるはずなのに。2人なら。2人でいれば。
 視線を下げると、自分の素足があった。薄いピンクのペディキュ
アははがれかけているし、爪も伸びている。足は冷やさない方がい
いよ、と彼の口調を真似て、小さく声に出してみた。当たり前だけ
ど、全然、似てなかった。全然、全然、似てなかった。


坂道を転がるくらいの覚悟ならできてるんだと思っていたの

                              (やまよし)

 

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第1回 かとちえの短歌ストーリー テーマは“中華街”

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更新日2月12日

<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
今回から、ついに、内容をリニューアルということで、
タイトルも『かとちえの短歌ストーリー』となりました!
どうか今まで同様、そして今まで以上に、
どうぞよろしくお願いします。
これを機会に、見ているだけだった方の投稿が増えると嬉しいです。
もちろん今まで常連だった方にも、期待してます!
そして、ご意見などもどしどしいただけるとありがたいです。
そちらもよろしくお願いします。


<今月の作品> 〜第1回テーマ「中華街」〜

  肉まん

 待ち合わせ場所である、駅の北口改札前に、ソウくんはまだ姿を
現していなかった。予想通りだったので、驚きはしなかったけれど、
少しだけ不穏な気持ちになり、それでいてどこかで安心も覚えた。
 今のうちに帰っちゃうのもありかもしれないと考えていると、後
ろから肩を叩かれたので、身体が大げさにびくっと反応した。慌て
て振り向くと、そこには笑みを浮かべて立っているソウくんがいた。
いつもより緊張して見えるけれど、それはわたしが緊張しているせ
いかもしれない。
「そんなに驚かれると思わなかった」
 そう言いながら改札に向かう彼の、後ろを付いていく。初めて見
る紺のダウンジャケットを着ているソウくんは、イメージよりも背
が高い感じがした。
「っていうかさ、遅れて来たんだから、謝罪しなよ、謝罪」
「法学部の人は、すぐに謝罪とか言い出すからなー」
「それは関係ない。とにかくなんかおごってもらうからね」
「えー。真理ちゃんってばこわーい」
 なんだか必要以上に明るく振る舞っているみたいだ、と思いなが
ら、ホームに並んで、やって来る電車を待った。冷たい風が頬に刺
さるので、何度か手で顔をさすりながら。

 電車の中、わたしたちは、ずっとしゃべっていた。たとえば共通
科目『言語と社会』の教授の口癖について。ソウくんのバイト先で
あるカラオケボックスに現れる変な客について。好きなバンドの新
譜について。沈黙を怖がるかのように話し続け、笑うわたしたちは、
けれどルールであるかのように、ある一つの単語は絶対に出さなく
て、それがかえって、あることを意識させつづけた。
 その話題に触れたのは、中華街にやって来て、パンダグッズだら
けのお店に入ってからのことだ。
「ねえ、これ、あいつ好きそうじゃない?」
 中国風の曲を鳴らしながら、電池で動くパンダのおもちゃを手に
とって、ソウくんは言った。笑いながら大きくうなずいたわたしも
また、近くに飾られていたパンダのキーホルダーを手にとって、こ
れも好きそうだよ、と言った。それが合図だったみたいに、わたし
たちはあらゆる商品を手にとって、騒ぎ出した。
 これは絶対、由美の好きなタイプのパンダだよ。
 あ、これ、由美の家で見た気がする。
 これは由美に言わせると「ダメパンダ」だろうなー。
 もう、このお店ごと由美にプレゼントしたいよね。
 長い時間をかけて、ソウくんが選び出した由美へのプレゼントと
は、パンダ柄のパジャマとパンダの写真付き卓上カレンダーだった。
彼が会計を済ませている間、わたしは由美から、ソウくんのことを
初めて紹介された日のことを思い出していた。
「紹介するね。この人が宗治。つきあうことになったんだ」
 あの日の由美の笑顔を、くっきりと、覚えている。

 ソウくんが、パンダ好きの由美へのプレゼントを買い終えてしまう
と、わたしたちには中華街に留まっている理由がなくなった。それな
のに、駅の方には向かわずに、ふらふらとあたりを歩いている。なん
か家出みたいだよねえ、と笑うこともできない。
 唐突にソウくんが足を止め、何かと思ったら、肉まんを買っている。
せいろから出る湯気は、見ているだけでもあたたかそうだ。じっと見
ていると、買ったばかりのそれを手渡された。
「これ、今日の遅刻のお詫びってことで。あと付き合ってくれたし」
 渡された肉まんは、見た目通り、あたたかかった。一口頬ばって、
おいしい、と言うと、俺も一口食べたい、とソウくんが言う。手渡す
と、勢いよく頬ばり、熱い、と少し大きめの声で言う。思わず笑いな
がら、再び手渡される肉まんを受け取る。
 ねえ、やっぱもう一口ちょうだい。えー、だってこれ、お詫びじゃ
なかったの。思いのほかおいしかったからさあ。もう一つ買えばいい
じゃん、今度はあんまんでもいいよ。どんだけおごらせる気だよー。
けど、お詫びとお礼にしては安すぎじゃん。俺、貧乏な学生なんだか
ら、そこは出世払いで一つ。
 楽しげに歩くわたしたちは、すれ違う人からは、カップルにしか見
えないだろうと思う。それがいいことなのか悪いことなのか。わたし
は何を望んでいるのか。ソウくんの手に触れたいという思いをごまか
すかのように、わたしは彼に、残り少なくなった肉まんを手渡す。

わたしたちの子供みたいな肉まんがつながない手を温めている

                                                                (遠藤しなもん)

 


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