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漢字でよむ おくのほそ道 第20回
金沢

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年9月6日



金沢


■ 原文 ■


卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。爰に大坂よりかよふ商人何処と云者有。それが旅宿をともにす。一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、
  塚も動け我泣声は秋の風


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


越中、加賀の境、卯の花山・倶利伽羅(くりから)が谷を越えて、金沢に到着したのは陰暦の7月15日。この地に大阪から通っている商人の何処(かしょ)という者がいて同宿となる。

金沢には、一笑という者があって俳諧の道に勝れ、その名は遠く江戸まで知られておった。金沢では、その一笑と会えるのを楽しみに旅をつづけて来たのでもあったが、昨年の冬、惜しくも36歳の若さでこの世を去ったという。…なんということであろう。…

一笑の兄、ノ松(べっしょう)が、彼の冥福を祈って句会を催してくれた。その発句(ほっく)

  塚も動け我泣声は秋の風

この哀しみに感じて塚も動け、私のこの慟哭は、蕭蕭たる秋の風そのものである。




■ 注釈 ■


「やまば」が過ぎれば「別れ」

「おくのほそ道」の作品構成の特徴のひとつは、市振の関の章の「やまば」に到るまでは、出逢い出逢いの連続であるのに対し、以後は別れの連続となることである。

即ち、自らを仏五左衛門と名乗る宿の主人。こころよく馬を貸す那須の農夫。そして、すみずみまで心のゆきとどく仙台の画工加右衛門。これみな、日本人の代表というべき人物と出逢う。

それに対し、市振の関での、心残りする別れの後は、出逢うべきはずの人とは逢えない金沢。やがては、同行(どうぎょう)の曾良とさえ別れ別れの旅がつづくということになる。

「おくのほそ道」は、紀行文でありながら、物語文と同様、その構成には、きちんと「起承転結」が設えられているのである。






【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。







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