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漢字でよむ おくのほそ道 第17回
象潟

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年8月15日



象 潟


■ 原文 ■


其朝天能霽て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり。神功后宮の御墓と云。寺を干満珠寺と云。此処に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
  象潟や雨に西施がねぶの花


oku-17


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


(昨日の悪天候はどこへやら)今朝は見事な晴天。朝日華やかに輝く空のもと、象潟の海に舟を浮かべる。まず、数ある島々の中でも、能因法師ゆかりの島に舟をよせて、法師が3年間幽居したという跡を訪れ、その対岸で上陸。

寺は、干満珠寺といい、そこには、

  きさがたの桜は波にうづもれて花の上こぐあまのつリ舟

と詠まれた桜の老樹が、今も西行法師の記念として残っている。

湾上に神功皇后の墓といわれる御陵(ごりょう)がある。しかし、皇后がここに行幸されたということは、聞いたことがない。どうしたことであろうか。

寺の僧坊に上がり、そこの簾(すだれ)をあげると、そこからは、象潟の風景を一望することができる。

即ち、南は出羽の名山鳥海がそびえ、その影は湾に映り、西は有耶無耶(うやむや)の関で羽前の国に接し、東は秋田に通ずる道路が堤防の上につづいている。そして、北方は日本海であって、波の寄せる所を汐越(しおごし)という。

象潟は、縦横それぞれ一里(約4km)ほどの入り海。その形、大きな象に似ているといわれるが、表情が松島に通ずるところもあるがしかし、異なる。

言うなれば、松島は笑うようであるのに対し、象潟は怨むようである。さびしさに悲しみをくわえたそのありさまは、悩める美女を思わせる風情である。

  象潟や雨に西施がねぶの花




■ 注釈 ■


象潟

松島と並び称される東北の景勝地。

松島湾岸に瑞巌寺があるように、象潟の寺を、干満寺あるいは干満珠寺という。

また、松島は表日本の宮城県にあるが、象潟は、裏日本、秋田県の南西部にあり、東北の名山鳥海山の北西麓に位置する。

湾は東西約2.2Km、南北約3.3kmの規模の広さで、九十九島・八十八潟の内湾であったが、1804年(文化1年)の地震で地盤が隆起して海水は退き、今は田園地帯となって、田んぼに水の張る時だけ、昔の九十九島の俤がしのばれる。

しかし、「おくのほそ道」の旅は1689年のことであり、当時象潟は未だ、海であった。




悲劇の美女 西施

中国は春秋の時代、揚子江下流地域では、呉越(ごえつ)がその勢力を争っておった、その政争の道具につかわれた絶世の美女の名。

越王勾践(こうせん)は、呉に敗れて後、智将范蠡(はんれい)の策によって、西施を呉王夫差(ふさ)の許に贈る。

夫差は、西施の色香に溺れて政治を顧みなくなり、やがて国を傾ける結果となる。

時に象潟は雨にけぶる季節。その中にひっそりと咲く合歓(ねむ)の花は、悩める美女西施の姿に通うものがあったのであろう。




西施の顰に倣う

また、“西施の顰(ひそみ)に倣(なら)う”という有名なことわざがある。

「広辞苑」では、次のように説明している。

西施がかつて心を痛めて顔をしかめたのを、里の醜女が見て、これを美とし、争って顔をしかめた。いたずらに人の物真似をして、世の物笑いになることをいう。

「顰」という字は、今は、「顰蹙(ひんしゅく)」ということばで使われる。

「顰」は、川の難所を歩いて渡る場合をあらわす字である。それで、「頻(ヒン)」が字の部分となっている。

「顰」とは、渡河に際して、その河神に祈りを捧げ、そして、心をひきしめて川を渡る。その、緊張した顔の表情が「顰」である。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。






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