
2007年6月13日
殺生石・遊行柳
■ 原文 ■
是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと、
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折をりにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
田一枚植て立去る柳かな

原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店
■ 訳 ■
これから、殺生石(せっしょうせき)へと向かうのであるが、黒羽の城代家老である浄法寺氏は、送りの馬をつけてくださった。
途中、その馬子さんが、「一句頂戴できませんでしょうか。」と所望する。馬子さんにしては風雅なことよ…と、即興の一句。
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
この山野に満ちみちているほととぎすの声。そうだ、ここで馬をとめ、その声とまともに向き合って聞こうではないか。風流を解するそなたと共に−。
殺生石は、温泉の湧く山陰にある。
その噴き出す毒気は衰えておらず、あたりには、蜂や蝶などの死骸がつみ重なって地べたも見えないほどである。
また、西行法師(さいぎょうほうし)が、
道のべに清水ながるゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ
と詠んだ「清水ながるゝの柳」あるいは「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」といわれる柳の木は、蘆野(あしの)の村の田の畦道に今も残っている。
そして、この地の領主である方が、「その柳を、実際にお見せしたいものだ」と、ときどきお便りをくださっておったので、一見したいものとずっと思いつづけておった。
それがとうとう今、その陰に立つことが現実となった。…その感動にひたっている間に、附近に田植えする農夫は、既に田一枚を植えおえてしまっている。
田一枚植て立去る柳かな
■ 注釈 ■
殺生石
むかし、一匹の老狐があって、それが、「玉藻の前(たまものまえ)」という美女に化け、時の鳥羽上皇に取り入ろうとしたが正体を見破られ、那須野まで逃れて石と化したとされるもの。
遊行柳
西行法師は、芭蕉さんより約500年前の平安時代後期の歌人。
同じように、諸国を行脚(あんぎゃ)した人である。
「遊行」とは、諸方を旅することであり、その西行法師のたたずんだ柳というわけで、一名「遊行柳」といわれる。
なお、その遊行柳は植え替えられ、植え替えられて、今もその地に現存している。
【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)
1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。
