更新日5月10日
<ご挨拶>
こんにちは、加藤千恵です。
結局サテンのジャケットも深緑のトレンチコートも手に入れていないまま、
春を終えようとしています(前回の「ご挨拶」参照)。
近いうちに引越しをする予定があって、
《手持ちの物を減らそうキャンペーン》実施中なので、
(キャンペーン、というか、そのまんまの内容なんですけど)
まあ、仕方ないよねー、と思ってみてはいるものの、
多分夏になるまでは、というか夏になっても、
しばらく「春物……」とか思っちゃったり言っちゃったりしてると思います。
にしても引越しのこと考えると、憂鬱です。
たくさんの物が溢れかえる押入れなどを見ていると、
ああ、いっそこのままここで埋もれてしまって構わない、という気分にすらなります。
ですが、気を取り直して、今月の作品にうつらせていただきます。
<今月の作品> 〜第4回テーマ「会社」〜
営業会議
誰にも気づかれずに始まった恋は、誰にも気づかれずに続き、数日前、
誰にも気づかれずに終わった。わたしと彼しか知らない。わたしが彼を
どんなに好きだったか、彼がわたしをどんなに好きだったか、お互いが
どれほど苦しかったか、お互いがどんなに求め合っていたか、全部、二人
だけの秘密だ。
恋が終わったって、世界が終わったわけではない。わたしは今日も満
員の通勤電車に乗って、会社に行く。電車も、風景も、会社も、わたし
が彼と恋をしていた頃と何ら変わりはなくて、それは優しいことのよう
にも冷たいことのようにも思える。
水曜日の営業会議のことは考えないようにしていた。普段は離れた場
所で仕事をしている営業一課の彼と、この日は近くで向き合うこととなる。
けれど、考えないようにしているからって、逃げられるわけではなくて、
結局わたしは、いつもの席に普段と変わらない様子で着席する。
そして彼もまた、恋が終わったからといって、消えてしまうようなこ
とはなくて、たった今も、三十人ほどがいる会議室で、わたしの左斜め
に座って、一人一人に渡された用紙に目を落としている。わたしも同じ
ようにしようとするのに、円グラフや、グラフについての説明が書かれ
た、肝心の内容は、ちっとも頭に入ってこない。それよりも、彼の青い
チェックのネクタイがバーバリーのもので、彼の叔父さんがくれた商品
券で買いに行ったものであるという、まるで関係ないことばかりを思い
出してしまう。
付き合っているとき、この週に一度の営業会議のことを、よく話題に
あげた。
「会議、ほんとにめんどくさいよな」
「ねー。わたしなんて、営業第二課って名前がついてるだけで、実質事
務だし、話題も全然わかってないよ」
「俺は営業だけど、わかってない。自分が発表するときは、超焦ってな
んとか形だけ整えるけど。質問とか来るなよって思ってる。おれに聞く
なよ、って」
「じゃあ今度、質問しよっかな。このデータの信頼度を正確に述べてく
ださい、とかって」
「うわー、それ完全に嫌がらせだな」
笑いながら話していたことを、彼はどのくらい憶えているんだろう。
「で、今の段階では、これに関してはペンディングとなっています」
発表担当者である同僚の声が、突然耳に飛び込んできた。もちろん突
然ではなく、彼はずっと話し続けていたのだ。わたしの意識がずっと遠
ざかっていただけで。誰にとがめられたわけでもないけれど、気まずい
思いを抱えつつ、あらためて配られた用紙を読む。
「で、次の項目にうつるんですけれども」
担当者の声を合図に、一斉にみんなが紙をめくる。紙の音が会議室を
満たす。
一瞬、顔をあげると、左斜め前で、同じように紙をめくった直後の彼
と目が合った。あまりに思いがけないものだったので、目を離すことが
できなくて、瞬間、見つめ合うような形になった。
そらすより先に、そらされた。視線を用紙に戻した彼の表情は、何事
もないように見えた。突然、言いたいことが、決壊したみたいにあふれ
でてきた。だけど、言えるはずがなかった。そもそも、本当に言いた
いことなのかも、わからなかった。
会議中、よく、目を合わせていたことを思い出した。たくさんまばた
きをしてみたり、口をとがらせてみたりして、お互いに笑いそうになっ
てしまうことすらあった。隣の席の人に気づかれたのではないかと思い、
ひやひやすることも少なくなかったが、決してやめたりはしなかった。
わたしたちは完全に、状況をおもしろがってみせていた。誰と戦ってい
るわけでもないけれど、ずっと味方で、共犯者だった。
わたしたちの恋が終わっても、週に一度の営業会議はなくならない。
担当者は、発表を終わらせかけているところだ。
目配せで交わした会話を思い出し書類の文字がにじむ会議室
(ななひまわり)
<今月の優秀作>
ショートストーリーで使わせていただいた短歌以外にも、
気になったものを、短いコメント付きで紹介させていただきます。
今回も、前回同様、素晴らしい作品が多くて、
なくなく削ってしまったものも多くあります。
なので、今回紹介されなかったという方でも、どうぞ次回以降も投稿してくださいね!
強がって走ると決めたはずなのに ヒールで挫く彼女の弱さ (打田舞子)
ヒール「が」かなとも思ったのですが、どうでしょう。うまくまとまった一首です。
できるだけ社内文書を回覧で回す感じで君を誘った(伊藤なつと)
どんな感じなんだろう……。想像させられます。
あと5才若かったなら内線で付き合ってよとか言っていたかも (さかいたつろう)
あと5才若ければというのは、主人公がなのか、相手がなのか。気になります。
チョイスしたランチメニューがまたかぶる社員食堂気になるあいつ(ウクレレ)
恋というより、ライバル関係を連想させました。笑いも含まれているような。
垣間見たあなたはすっかり別人で どちらがONでOFFかと迷う(やましろひでゆき)
前提としているテーマの消化の仕方が、すごくうまいと思いました。
本命の会社に振られて落ち込んでディズニーランドに行って忘れる(新庄彩子)
就活生に捧げたい短歌ですね。本音はそう簡単にいかなそうなところも、泣かせます。
ワイシャツも彼も冷たいことに勝て 四月は敵が多すぎなんだ(安藤えいみ)
ぎりぎりまでショートストーリー用の短歌と悩んだ作品でした。次回以降もぜひ!
パソコンに嫉妬をしているなんてこと言えないでしょう?大人ですから(時雨)
共感性が高そうだなと思いました。パソコンだけじゃないですよね!
窓ぎわの忘れ去られたサボテンも光合成の仕事をしてる(麦人)
風景がぱっと浮かぶ、それでいて誰もが思いつくわけではないと思わせる一首です。
悪くないわかっていてもあやまれる先輩たちはカッコよかった(MOMO)
助詞(「と」)の省略が気になりますが、内容は好きです。
<次のテーマ&今月のかとちえ短歌>
ショートストーリーとなってから、
《ある場所でのシーン》を連想させる短歌を募集しておりますが、
今回の《ある場所》は、「プール」です。
まだ少し時期が早いかもしれませんが、たくさんのご応募、お待ちしてます!
以下は募集要項です。
6月10日締め切りで、一人2首以内、テーマ記載の上、
ペンネームがある場合はペンネームも添えて。
→送り先:tanka_57577@3anet.co.jp(第二出版部「かとちえの短歌ストーリー」係まで。
アドレスの「@」を半角に修正してお送りください)
そして、以下、プールをテーマに詠んだわたしの作品です。
プールでは疲れて苦しくなったならすぐにあがればいいけど 恋は
(加藤千恵)
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【著者プロフィール】加藤千恵(Kato Chie)撮影/五十嵐和博
1983年北海道旭川市生まれ。歌人。立教大学日本文学科卒。高校生のときに処女短歌集『ハッピーアイスクリーム』(発行・マーブルトロン、発売・中央公論新社)で話題を集める。現在、集英社携帯サイト『theどくしょ』で、自身初となる小説連載を行っているほか、ラジオなどにも出演。詩、書評、エッセイなどの執筆活動も行っている。主な著書に『ハッピーアイスクリーム』(中公文庫)、『たぶん絶対』(マーブルトロン)、『ゆるいカーブ』(スリーエーネットワーク)など。最新刊にカメラマン・タクマクニヒロ氏とのものによる『写真短歌集 放課後』(雷鳥社)。
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