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ちょっとさびしい話題

「ダカーポ」という雑誌をご存知でしょうか。
マガジンハウスから月二回刊行されている雑誌ですが、マガジンハウスから出ている雑誌にしては地味かもしれません。
その「ダカーポ」が、12月で休刊になるそうで、さびしさを感じています。

その雑誌をはじめて買ったのは高校のころで、出版社別文庫の売上トップテンが特集でした。
各文庫の特徴が売上に反映されていてとても面白い特集だったと記憶しています。
読む本に悩んだら、そのランキングに載っている本で関心がわきそうなものを優先的に読むようしました。
今の私の読書傾向を作ったともいえるかもしれません。

休刊にはなりますが、新しい時代に対応した雑誌となってまた復刊してほしいと思います。
雑誌名が雑誌名ですから、いきなり元に戻って復刊になったら面白いのにと思います。
2007-10-18

漢字でよむ おくのほそ道 第7回
殺生石・遊行柳

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年6月13日



殺生石・遊行柳


■ 原文 ■


是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと、
  野を横に馬牽むけよほとゝぎす
殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折をりにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
  田一枚植て立去る柳かな


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


これから、殺生石(せっしょうせき)へと向かうのであるが、黒羽の城代家老である浄法寺氏は、送りの馬をつけてくださった。

途中、その馬子さんが、「一句頂戴できませんでしょうか。」と所望する。馬子さんにしては風雅なことよ…と、即興の一句。

  野を横に馬牽むけよほとゝぎす

この山野に満ちみちているほととぎすの声。そうだ、ここで馬をとめ、その声とまともに向き合って聞こうではないか。風流を解するそなたと共に−。

殺生石は、温泉の湧く山陰にある。

その噴き出す毒気は衰えておらず、あたりには、蜂や蝶などの死骸がつみ重なって地べたも見えないほどである。

また、西行法師(さいぎょうほうし)が、

  道のべに清水ながるゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ

と詠んだ「清水ながるゝの柳」あるいは「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」といわれる柳の木は、蘆野(あしの)の村の田の畦道に今も残っている。

そして、この地の領主である方が、「その柳を、実際にお見せしたいものだ」と、ときどきお便りをくださっておったので、一見したいものとずっと思いつづけておった。

それがとうとう今、その陰に立つことが現実となった。…その感動にひたっている間に、附近に田植えする農夫は、既に田一枚を植えおえてしまっている。

  田一枚植て立去る柳かな




■ 注釈 ■


殺生石

むかし、一匹の老狐があって、それが、「玉藻の前(たまものまえ)」という美女に化け、時の鳥羽上皇に取り入ろうとしたが正体を見破られ、那須野まで逃れて石と化したとされるもの。


遊行柳

西行法師は、芭蕉さんより約500年前の平安時代後期の歌人。

同じように、諸国を行脚(あんぎゃ)した人である。

「遊行」とは、諸方を旅することであり、その西行法師のたたずんだ柳というわけで、一名「遊行柳」といわれる。

なお、その遊行柳は植え替えられ、植え替えられて、今もその地に現存している。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。