10月も半ばを過ぎて、秋だなあと感じることが増えてきました。
日の入りが早くなったり、朝晩がめっきり涼しくなったり。
皆さんはどういったことに秋の深まりを感じるのでしょうか。
私は、自動販売機にhotの文字が出てくるようになると、秋も深まってきているな、と感じます。
この記事も自動販売機で買ったPOKKA純茶のHOTを飲みながら書きました。
やっぱり私はお茶が好きなんだな、とも思いました。
2007-10-17
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漢字でよむ おくのほそ道 第8回
白川の関

2007年6月20日
白川の関
■ 原文 ■
心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風*騒の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
*「騒」は実際は馬へんに喿と書きます。
原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店
■ 訳 ■
決意して出発(たびた)ったはずであったが、ここに到るまでは、不安定な日数であった。
しかし、ここ白河の関に到って、やっと旅心が定まった。この関に残る最古の歌、平兼盛(たいらのかねもり)の
便りあらばいかで都へ告げやらむけふ白川のせきはこゆると
と歌った感動ももっとものことと共感できる。
古来、この白河の関は、蝦夷地(えぞち)と境する重要な関所であり、多くの歌人が歌を残したところである。
都をば霞とともに出(いで)しかど秋風ぞふくしら河のせき
という、有名な能因法師(のういんほうし)の歌をはじめ、紅葉にも青葉にも、それぞれに多くの歌が残されている。
そして、今、時は真っ白な卯の花の季節、その上、茨の花の白まで加わって、まるで雪中を越えゆくような錯覚さえおぼえる。
むかし、竹田大夫国行(たけだのたいふくにゆき)という者が、この関を越えるとき、わざわざ衣冠を改めて正装したというエピソードが、藤原清輔(ふじわらのきよすけ)の『袋草子(ふくろそうし)』という著作に伝えられている。
しかし、われわれの正装は、ここに咲く卯の花の一枝を折って、髪に挿す、ただそれだけなのである。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
■ 注釈 ■
なぜ関の通過に正装するのか
それは、古代からの風習であった。
旅の途中、名だたる難所や景勝の地を通過する場合、そこの地霊(ちりょう)・地の神へ、敬虔な祈りを捧げる。
その景観を愛でるということは、即ち、そこの地の神のみ姿を褒め讃えるという行為であった。
従って、関の通過にあたって、衣装を改めるということは、その地の神に対する礼儀なのである。
関の通過にあたって、関の神へ敬虔な祈りを捧げるだけではない。必ず、歌をも捧げるものであった。
…白河の関に残されている多くの歌、芭蕉さん師弟の捧げる一句、それはみな、関の神への献歌なのである。
漢字が教えてくれる古代の旅
故白川静博士の漢字学から得られる知識には計り知れないものがある。
旅とは、通過でもある。
通過の「過」は、人の上半身の骨格の形である
祈りのことばをあらわす
古代の路傍(みちばた)、そこは、行き倒れた人の遺骨のうずもる所でもあった。
従って通過にあたっては、それらの遺骨に対して祈りをささげて過ぎる。
それが、旅の禍いを避ける方法であった。
…「五木の子守唄」の
おどんがうっ死んだば 道ばっちゃいけろ 通る人ごち花あぎゆ
私が死んだら路ばたに埋めてくれ
そうしたら通る人が花を供えてくれるだろうから
そうしたら通る人が花を供えてくれるだろうから
という一節も、遠いとおい古代からの風俗からうまれたものだろうか。
(そのあとに「花は何の花 つんつん椿 水は天からもらい水」とつづく。 )
川の難所を渡る漢字が残されている。
川の難所に当たって、その河神に祈る形が、

であり、献歌を表す漢字が「訓」である。
どちらの字にも「川」の部分があるのはそのためである。
「順」とは、川のほとりにひざまずく人の形。「順当に渡らせ給え」と祈りを捧げる姿である。
ところで、その、川のほとりにひざまずく人物の頭の部分に注目してほしい。
奇妙な1本の曲線がついているでしょう。
…これは、「おくのほそ道」では、その月山登山のところに「宝冠(ほうかん)に頭を包(つつみ)」とある、その宝冠に相当する。
それは神の前に立つ場合の礼装である。
卯の花をかざしに関の晴着かな
芭蕉さんは、頭に卯の花のかんざし。
「順」の字の場合は、頭部に宝冠のしるし。
この符合…。
卯の花のかんざしは、礼装であり、句は献歌である。
それは、古代から伝えられた関の通過の作法だったのである。
【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)
1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。
