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広告の枠内での会話

ちょっと前に見た新聞広告で、とても気になっていたものがあるので、ちょっと紹介してしまいます。
それはマガジンハウスから出ている書籍2点の新聞広告で、右に『「1日30分」を続けなさい! 人生勝利の勉強法55』が、左に『ダメなら、さっさとやめなさい! No.1になるための成功法則』が位置しているものです。

これって絶対に狙ってやってますよね。
どちらも自己啓発本といえると思うので、並べて広告を打つのをわかりますが、こう並べられると(いい意味で)遊んでいるように思えてなりません。

「1日30分」を続けるんだ! でも、それがダメならあきらめろ! そんなふうに読んでしまうのは私だけではないでしょう。

広告の効果なのかどちらもよく売れているように思います。
しかし、もし『ダメなら、さっさとやめなさい!』がまったく売れてなかったとしたら、広告をうつことをさっさとやめていたのだろうか、そんなことを考えてしまいました。
2007-10-16

漢字でよむ おくのほそ道 第9回
佐藤庄司が旧跡

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年6月27日



佐藤庄司が旧跡


■ 原文 ■


月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半計に有。飯塚の里鯖野と聞て、尋たづね行に、丸山と云に尋あたる。是庄司が旧館也。麓に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとゞめて什物とす。
  笈も太刀も五月にかざれ帋幟
五月朔日の事也。


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


月の輪の渡しで阿武隈川を越え、瀬の上という宿場に出る。

平安朝末期の領主、佐藤庄司の居城の跡は、左の山ぎわを一里半ばかり行ったところにある。そこは飯塚の鯖野という所だというので、人に尋ねながら行くと、丸山という所に、その城跡があった。

「ここが、大手門(表門)の跡であった。」などと案内の人に教えられ、昔の様子を想像する。

そして、旧跡のかたわらの古寺には、佐藤庄司一族の墓石が残っており、中でも、二人の嫁の墓標には、ひときわ哀れを催す。

女性の身でありながら今の世まで語り継がれる雄雄しいエピソード、聞くだけで思わず感涙を催すというもの、それは、遠く中国にあるという「堕涙の石碑」を引き合いにだすまでもない。だれもが感動せずにはおれない旧跡は、この日本のこの地にもあるではないか−。

寺の僧坊で茶を乞い話しを聞けば、寺には義経の太刀(たち)と弁慶の笈(おい)が、寺宝として残されているという。

  笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)

時あたかも端午の節句まぢか、鍾馗様(しょうきさま)の幟ばかりでなく、この太刀と笈も、共に飾ったらいかがなものでしょうか。




■ 注釈 ■


佐藤庄司一族のエピソード

源義経の平家追討の戦に従軍し、義経の身代わりとなって戦死する、佐藤継信・忠信兄弟の父が佐藤庄司で、福島の信夫郡(しのぶぐん)の領主、「二人の嫁」とは、その、継信・忠信の妻たち。

生きて故郷に凱旋することのなかった兄弟の母の悲しみを慰めようと、二人の嫁は、女ながらも、鎧兜(よろいかぶと)に身を固め、参戦の武士の装いをしてみせたという。

…その故事によって、寺には二人の嫁の甲冑を着た木像があり、寺の名も甲冑堂(かっちゅうどう)というのだそうである。



堕涙の石碑

その碑に参る者は、そこに込められた伝説に、おもわず感涙を催すという、中国の石碑。




【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。