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漢字でよむ おくのほそ道 第22回
全昌寺

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年9月19日



全昌寺


■ 原文 ■


大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。猶加賀の地也。曾良も前の夜、此寺に泊て、
  終宵秋風聞やうらの山
と残す。一夜の隔千里に同じ。吾も秋風を聞て衆寮に臥ば、明ぼのゝ空近う読経声すむまゝに、鐘板鳴て食堂に入。けふは越前の国へと、心早卒にして堂下に下るを、若き僧ども紙・硯をかゝえ、階のもとまで追来る。折節庭中の柳散れば 、
  庭掃て出ばや寺に散柳
とりあへぬさまして、草鞋ながら書捨つ。


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


大聖寺藩の城外、全昌寺という寺に宿泊。ここはまだ、加賀の国である。

曾良も昨夜、この寺にとまって、

  終宵(よもすがら)秋風聞やうらの山

と、一句を残している。別れを思うと、なかなか寝付かれなかったのだろう。僅か一日しか経っていないのに、蘇東坡(そとうば)の言う「一夜の隔(へだて)千里に同じ」の思いである。

私もまた、秋風を聞きながら寝に就いたのだが、もう、曙(あけぼの)も近いのであろう。朝のおつとめの読経の声がきこえている。…朝食の合図の鐘板がなったので食堂に入る。

今日はいよいよ越前の国へ…と、そそくさと食堂の階段を下っていくと、若い僧たちが紙・硯(すずり)をかかえ、サインを求めて追っかけて来る。おりから前庭には、前夜の風で柳の葉が散り落ちている。

  庭掃て出ばや寺に散柳
  (そなたたち、サインよりも、寺の掃除が先でしょう?)

と思うものの、とりあえず、草鞋をつっかけながら、サインに応じたのであった。



■ 注釈 ■


芭蕉さんの追っかけ

昔から若者は、「追っかけ」をするものであったのだろうか。

修行僧でありながらも、有名人の色紙をほしがるという欲望などは、抑えきれないのだろう。

現代の「ヨン様」の追っかけをするような心理は、昔も今も変らぬものなのだろう。



朗読して味わう日本語の文章

日本語の文章は、音訓みごとに使いこなして出来上がっている。ところが、「音読み」といっても、一様ではない。

次の部分は大正生まれの私にとっても、一気にすらすら朗読するのがむずかしいところである。その読み方を記しておこう。

一夜(いちや)の隔(へだて)千里に同じ。吾(われ)も秋風(あきかぜ)を聞(きき)て衆寮(しゅうりょう)に臥(ふ)せば、明(あけ)ぼのゝ空近(ちこ)う読経(どきょう)声すむまゝに、鐘板(しょうばん)鳴(なり)て食堂(じきどう)に入(いる)。けふは越前の国へと、心(こころ)早卒(そうそつ)にして堂下(どうか)に下るを、若き僧ども紙・硯をかゝえ、階(きざはし)のもとまで追(おい)来る。折節(おりふし)庭中(ていちゅう)の柳散れば、
  庭掃て出(いで)ばや寺に散(ちる)柳(やなぎ)
とりあへぬさまして、草鞋(わらじ)ながら書(かき)捨(す)つ。

この心地よい日本語の響きは、朗読で吟味することによって味わえるものであるが、なかでも、

鐘板(しょうばん)鳴(なり)て食堂(じきどう)に入(いる)。

という一文は、ずっしりと、胸に響くところである。

悪食(あくじき)といい、乞食(こつじき)といい、断食(だんじき)という。

仏教用語に語源をもつことばの中には、「食(しょく)」「食(じき)」と発音する場合もあるが、「食堂」を「じきどう」と読む例はあまりない。然し、この文脈では、「じきどう」と読む。そのほうが、おもおもしく、ふさわしい。

「食」を「じき」と発音するほうが、「食」とは、ただ、空腹を充たすということではなく、天地から授かった恵みを頂くという響きがあるように思えてならないのであるが、どうでしょう。


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【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。