Topics

お土産品にちょっとピリピリ

先日、「赤福」と「白い恋人」の不祥事について書きました。
おちおちお土産物など買ってられないな、と思ってしまいました。

と、そんなところへ『静岡名産「安倍川もち」も誤表示』と見出しのついた記事が見つかり、どっきりしました。
とはいっても製造年月日に偽りがあるのではなく、原材料名の表示の仕方が、正しくは重量順に書かなくてはならないところを、「もち」ということでもち米を最初に持ってきてしまっていたという間違いでした。

「安倍川もち」は製造年月日に偽りはありませんので、安心してお土産としてお買い求めいただければと思います。
以上、安倍川の河川敷で野球やサッカーをしたことのある営業青年Dからのご報告とお願いでした。
2007-10-31

読書の秋真っ只中です

先週の土曜日、10月27日から読書週間が始まりました。
文化の日を中心に二週間が読書週間になります。

ところで本をよく読める場所というのは人によって違うようですね。
家の中でないと読めないという人もいますし、喫茶店が一番という人もいます。
私は電車の中、それも新幹線の中が一番よく読めます。
普通の電車だと眠くなるときもあるのですが、新幹線の中だと揺れの質がちがうのか、眠くならず本に集中できます。
集中というより没頭に近いでしょうか。

週刊誌は習慣誌ということばがあるそうですが、この読書週間中に、自分が落ち着いて本の読める場所を見つけて、読書が習慣になるといいな、と思います。
2007-10-30

瞬間的に「スラスラ」英語を話すための暗唱音声と例文

「基本にカエル英語の本 英文法入門」シリーズ発刊記念

基本短文英語134例文の「音声(MP3)」と「例文E-Book」


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「基本にカエル」シリーズで、中学英文法を「理解」したら、次は、「アウトプット」!簡単な基本短文を134例文用意しました。

134の短文例文の音声は、
NHKテレビの英語講座で活躍中のダリオ戸田さんと、
書籍やラジオでもおなじみのルミコバーンズさんにお願いしました。

【日本語】→【ポーズ5秒】→【英文】
という順序で、134もの「基本短文英語」の例文が覚えられます。「スラスラ」言えるまで、徹底的にこの134例文を身につければ「英語の基礎」は卒業です。


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「ブログ」も新たに収録

今週、「広辞苑」第6版刊行の発表会がありました。
発売は来年の1月11日だそうです。

「広辞苑」といえば日本を代表する国語辞典と言えるでしょう。
改定は10年ぶりで、約1万項目が追加となります。

いくつかサイトを調べていると気になることを見つけました。
第3版の260万部をピークに、第4版が220万部、第5版が100万部とだんだんと部数が減らしていて、今度の第6版の目標は30万部だとか。
電子版に主力が移っているとはいえ、活字好きな私としては寂しさを強く覚えます。

また、新収録項目のうち4割弱が片仮名語だそうでここでも社会の移り変わりを感じます。
参考までに私が一番驚いたというか感激した新収録項目は、「植木等」です。
2007-10-26

頼むから…

昨日は体調があまりよくなかったこともあり、早めに退社しました。
家でゆっくり本でも読もうかと、帰り道の途中、書店に立ち寄りました。
そこでは、なんかの抽選会が行われていて、かなりうるさかったのでした。
「抽選会やってます。空クジなしです。」
「おめでとうございます、5等があたりました!」

うるさくて落ち着いて本を選べない環境だと思い、店から出ようとしたところ、ある本が目に入りました。
よっぽどその本を、レジと抽選会場とを間違えた振りして、そこへ持っていこうかと思いました。
その本とは
「頼むから静かにしてくれT・U」レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳
です。
2007-10-25

新しい手帳が発売の時期

最近書店へ行きますと、来年から使う手帳が所狭しと並べられているのをよく見かけます。
もうそんな時期になったんだなと思ってしまいます。

手帳の売場ができたのとほぼ同じタイミングで、「手帳術」が題名に入った書籍やムック、さらに手帳の特集の雑誌も並ぶようになりました。
もっとうまく手帳を使いこなしたいと思っている人が多いのだろうと推測できます。

私は一年だけ「超整理手帳」を買ってみましたが使いこなすことができませんでした。
整理整頓が苦手な私には荷が重かったようです。
それで結局普通の能率手帳を普段は使っています。
かといって私の仕事ぶりが能率的かというと自信がありません。
私の手帳術は「名は体をあらわさず」のようです。
2007-10-24

漢字でよむ おくのほそ道 第1回
はじめに

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年4月25日


はじめに


 
日本語は、漢字を音読み訓読み自在に使いこなすことによって、その表情が豊かになり美しくなった。

その典型的な作品は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」である。

そして、「おくのほそ道」は、旅の文学でもある。

旅とは出逢いでもある。

人の一生も、旅そのものであろう。何と、どのように出逢いながら、その日々を過ごすものであろうか。


作品はまた、芭蕉さんの歩行(かち)の記録でもある。

「歩」という漢字は、左右の足跡を重ねた形である。

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そして、地に足をつけて歩くということは、単に宇宙空間を移動するということではない、その地の地霊と接する行為でもあるのである。

古代から、例えば、重要な儀礼の場所に到る場合、王者といえども車から降りて、徒歩でもってそこへ向かうものであったという。

「おくのほそ道」は、その地その地の、土地の神々との対話の記録でもあるのだ。


「ほそ道」への旅立ちは、旧暦3月27日、今の暦なら5月16日ということになっている。

さあ、私たちも、松尾芭蕉の「おくのほそ道」に誘われながら、初夏の旅へとでかけようではないか。
 

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【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

お土産にご用心

このところ連日、お土産で有名な「赤福」の不祥事が新聞紙上をにぎわせています。
なんていい加減なんだと、読めば読むほど腹が立ってきます。

八月には「白い恋人」でも同じようなことがありました。
なんかの記事で読んだのですが全国お土産ランキングの1位と2位をこのお菓子で分け合っていたそうで、それがこの有様ですか。
なんかお土産を買うのが怖いようなバカらしいような気持ちがしてしまいました。

白、赤と来ましたので、次は青あるいは黒、意外と黄色、この辺の色が名前に入っているお土産には気をつけたほうがいいかもしれません。

今まで東海道新幹線の車中で「赤福」をお土産に買っていた方は、今後は是非「安倍川もち」を、百歩譲って「うなぎパイ」を買っていただきたいと、なぜか郷土愛に目覚めた私は思うのでありました。
2007-10-23

漢字でよむ おくのほそ道 第2回
序章

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年5月9日



序 章


■ 原文 ■


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
  草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


年月(時間)は永遠の旅人であり、来てはすぎ去る年年(としどし)もまた同様である。舟の上で暮らす船頭、馬をひいてすごす馬子などは毎日が旅であり、諸先輩の多くも旅の中で一生を終えている。

私もいつのころからか旅の心にあこがれ、長途の旅に身をゆだね、やっと昨年の秋、江戸のわが家にもどったのであるが、年が明ければ、もう、未だ見ぬ地である陸奥(みちのく)へと心が飛んで、それは落ち着くことができない。噪々(そそ)として、もう、旅支度である。

そして、住居は人手に渡し、門人の杉風の別宅に一時移り、旅立ちをまつ。

  草の戸も住替る代ぞひな
(※)の家
※かざり雛

一句(※後注)を旧庵の柱に懸け置く。



■ 注釈 ■


漢語・和語の使いわけ

この冒頭の文は、従来、多くの人に暗誦されてきた名文である。

文は「月日(つきひ)は」という和語(わご)ではじまるので、「百代(はくたい)の過客(かかく)にして・・・」と、やわらかな和語調でスタートする。

つづいて、自らの旅心におちつかない叙述になると、…「片雲(へんうん)の風」「漂白(ひょうはく)の思ひ」「海浜(かいひん)にさすらへ」「江上(こうしょう)の破屋(はおく)」…と、漢語で述べられている。

やわらかな和語調でスタートしたことが、漢語との対比で、文章がきりりとしまる。

このようにして心の昂揚の表現効果をつくるということは、日本の文章表現の特徴といってもよいものなのである。

これが、漢字を音読みと訓読みに使い分け、和語・漢語を自在につかいこなす、日本の伝統なのである。



「百」を「はく」と読むことについて

今は「百」を「ヒャク」と訓む読みの例しかなくなってしまった。

しかし、「百」という文字の成り立ちから考えたら、「百」は「一+白」(イチ+ハク)と分解できる字なのである。

古代文字では「二百、三百、…五百」を

百最終

と書き、もともとは「二と白(ハク)・三と白(ハク)…五と白(ハク)」なのであった。

つまり、漢字の数表記は、一の位であれば、一〜四は、棒を横に、十の位なら棒を縦にならべてあらわし、百の位は、「白(ハク)」に、一、二、三…を加え、千の位なら

人最終.jpg

 に、一、二、三…を加えて

千最終.jpg

と表現したのである。

…従って、「月日は百代(はくたい)の…」と読むのは、この「ほそ道」だけの特殊な場合であるとか、奇を衒った訓みとか考えるべきではなく、ごく普通に考えられることなのである。



途中に句点(。)のない一文

心の昂揚の表現をつくっている手段となっている、もうひとつのことは、「予もいづれの年よりか…」以後、途中ひとつとして句点のない一文で綴られているということである。

こういう離れ業的な作文は、並の文章力ではできるものではない。

暗誦によって味わうべき作品である。



「面八句」について

俳諧(はいかい)という日本の文芸。長短36句でまとめるのを歌仙(かせん)といい、100句でまとめるのを百韻(ひゃくいん)という。

「面八句」とは、この百韻における、第一頁の8句のことをいう。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

漢字でよむ おくのほそ道 第3回
旅立

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年5月16日



旅 立


■ 原文 ■


弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
  行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


旧暦3月27日、春霞に明けた空には、遥かな富士の眺望とかすかな残月。

上野の山の花見も再びかなうだろうかと心ぼそい。

親しい人々は、昨夜から別れの宴をもうけてくださり、いっしょに隅田川を舟で上る。

千住にて上陸。ここがはるかなる旅の出発点であり、人々との別れの地点でもあるかと思えば、万感胸にせまるものがある。

  行春や鳥啼魚の目は泪

これを旅の第一作としたのであるが、なかなか足取りがすすまない。見送る人々も道に立ちつくしたまま立ち去りかねるようである。




■ 注釈 ■


「別れ」の表現

「むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。」…と、やわらかな和文調の文で進んできたのが、突如「前途三千里」と、漢語調に変わり、そして、「離別の泪をそゝぐ」とつながる。

これは睦(むつ)ましかった人々との「別れ」の表現である。

「別れ」が、ぷつん!と音を立てているようだ。

…「離別の泪」という漢語表現に注意。

「前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」と、声に出してよんでほしい。

「離別の泪」が、「別れのなみだ」と置き替えられたら、なんと目茶苦茶で話にならないことか。

・・・「別離の泪」であってさえ、すてきな音感にはならないことがわかるだろう。

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”鳥啼魚の目は泪”について

ここは、鳥啼く春と、老いたる吾を対比している表現である。

「魚の目に泪」を漢字にすると
カン となる。

トウ は、目から垂れる水であり、これが涙のもともとの字である。

そして、「魚」は、漢字の世界では、女性の意味。

「鰥」とは、連れ合いの婆さんに先立たれて、よよと涙をながすやもめの爺さんのことをいうのである。

だから、「魚の目の泪」とは、男性の老いたるものなのである。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

漢字でよむ おくのほそ道 第4回
仏五左衛門

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年5月23日



仏五左衛門


■ 原文 ■


卅日、日光山の麓に泊る。あるじの云けるやう、「我名を仏五左衛門と云。万正直を旨とする故に、人かくは申侍るまゝ、一夜の草の枕も打解て休み給へ」と云。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食巡礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯無智無分別にして正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質、尤尊ぶべし。


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


(3月)30日、日光の麓の宿に宿泊する。

その主人は言う。

「私は名を仏五左衛門といいます。万事ものごとに対しては、正直一辺倒をモットーにしていますので、他人様はこう呼んでくれています。そういうわけですから、今夜は安心してお休み下さい。」という。

…一体全体、どのような仏性が現世にあらわれ、この乞食姿の僧形のものをお助けになるのであろうと、主人のすることに注意してみるのだが、要するにただ正直なだけがとりえというもの。

孔子の言にある「剛毅木訥の仁」、俗にいう律儀者なのである。…が、こういう心の清い人こそ尊い人間性というべきものではなかろうか。




■ 注釈 ■


仏五左衛門的人物

人間、自分の特性が世間からちゃんと認められないでいると感じたら、自己を顕示したくなるものである。

私の故郷の山形にも、むかし新庄駅の駅員氏に、そういう人物がおった。

彼は、ラウドスピーカーなどのなかった時代の列車の案内係であって、「しんじょー、しんじょー、なるご・こごた方面、さかた・つるおか方面乗り換えー。」と、入る列車ごとに、肉声で案内する人であった。

自らは美声のもちぬしであるという自負をもっていることはもちろん、上記の案内のスタイルは、自分の発案であり、他の駅の案内は、それを真似たものである、と主張している人であった。

私がその駅員氏を知ったのは、彼がとうに退職し、自らが興した「江口旅館」の主人におさまり、囲炉裏ばたにあぐらをかいて、さかんに「俺をもって嚆矢(こうし)となす。」という言葉を連発しているころであった。

「嚆矢」とは、開戦にあたって放つかぶら矢のことであって、物事のはじめをあらわす。

しかし私は、それを「孔子」とかんちがいしておった。

ずいぶん法螺を吹く爺さんだと思っておったが、辞典で知って、えらい言葉を知ってるもんだ…とおどろきもした。

しかし、今考えても、仏五左衛門的人物であったことにはまちがいない。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

漢字でよむ おくのほそ道 第5回
日光<黒髪山>

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年5月30日




日光<黒髪山>


■ 原文 ■


黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。
  剃捨て黒髪山に衣更  曾良
曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


黒髪山(男体山・2484m)は、霞がかかっていて、山頂には白く雪が残っている。

  剃捨て黒髪山に衣更(ころもがえ)

こう詠む曾良は、もともと、姓が河合で、名を惣五郎という士(さむらい)階級の者であった。それが私の弟子となり芭蕉庵の近くに居をかまえ、私の食事をはじめ生活全般のめんどうを見てくれておった。

それがこの度、奥州路の旅をともにすることを喜び、かつまた、旅の難儀を助けようと、旅立ちに際し剃髪し、僧形(そうぎょう)に姿をかえ、名まえも、「惣五」を改めて「宗悟」とし、私に従ってきたのである。

曾良の句の「衣更」の二字、季語として適切であるだけでなく、出家と行脚(あんぎゃ)の決意があらわれていて、まさに秀逸である。




■ 注釈 ■


吾と出逢う

曾良は、山頂未だ白い黒髪山に、僧形となった自分の姿を映すのである。この章は、曾良の、自分との出逢いを描く章である。

黒髪山(男体山)は、山頂まで黒々と樹木に覆われた山であり、今の暦でいえば、5月の半ばにおいて山頂に雪の残るはずはない。

従って、山頂白い男体山は、芭蕉さんの文学的な設定である。

それは、曾良を「決意した吾」との出逢いを果たさせるための文章上の設定である。

人は、鏡などに映し、客観的なものにすることによって、はじめて、自らが見えるようになるものなのであろう。

なお、「衣更え」は、旧暦の4月1日、冬服から夏服に着替えるときである。

…ところで、「衣」は、古代文字では

衣最終

とかき、これは、着衣の襟もとの形である。

「衣」とは、漢字では、体を被うだけのものではなく、命を包み守るものという意味がある。

従って、「衣更え」とは、単に衣服をかえるというだけでなく、生き態(ざま)をかえるという意味をもふくむものであろうと思う。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

遠くへ行きたい

私にはあまり縁のない記念日のように思うのですが、今日10月19日は海外旅行の日だそうです。
遠(10)くへ行く(19)で、10月19日。
かなりこじつけているように思いますが、記念日の多くはそんなものかも知れません。

海外旅行の日にあわせて海外旅行へ行く人はおそらくあまりいないでしょう。
日程的に中途半端な時期ですし。

出かけられないのであれば、出かけた気になるよう紀行書を読むのがいいのではないでしょうか。
読書の秋でもありますから。

秋の夜長ということもあり、海外旅行の本といってパッと思いついた「深夜特急」でも、寝る前に読み直してみようかな、なんて気になっています。
2007-10-19

漢字でよむ おくのほそ道 第6回
那須

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年6月6日



那 須


■ 原文 ■


那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへども、さすがに*情(じょう)しらぬには非ず。「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」とかし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
  かさねとは八重撫子の名成べし   曾良
頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。
*ルビは筆者による


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店




■ 注釈 ■


「優しさ」を知る

この「那須」の章は、草刈る農夫との出逢いに「野夫といへども、さすがに情しらぬには非ず」と感動することをあらわす重要な一章である。

即ち、日本の人々とは、人に対し、いかに心やさしく、ゆかしくつきあうものであるか、ということを示しているところなのである。

芭蕉さんは、迷路のごとくいりくんだ那須野が原に迷い困惑して、農夫にすがる。

それに対して農夫はまずはじめに「いかがすべきや(どうしたらいいでしょうね)」というのである。

これは、うつべき手だてがみつからなくて困っているのではない。

困っている相手の立場になるのである。

そういう言い方で、まず相手に同情の気持ちを伝えるのである。

これは、まことに、おくゆかしい心づかいなのではないか。

そうしておいて、次につづくことばは、「旅の者なら、ここで迷うのは、当然のことなのだよ」と伝えておいて、そして最良の方法、つまり、わが馬を貸し与えようというのである。

…馬というものは、道をよく知っているものである。この馬に乗っていき、その止まった所が目的の黒羽である。安心してこの馬をお使いなさいと、貸し与えるのである。

さらに、この馬を返すには、馬の首を反対に向けて、お尻をひとつ、ぽんと打てばよい。馬はひとりで、必ず帰りつく…とも伝えたはずである。

この農夫の厚情に対する芭蕉さんも、さすがである。

大事な馬を借りるのであるから、普通なら、「謝礼は如何ほど?」と問うだろう。しかし、そうしたなら、「とんでもない」と、ことわられるだけである。

芭蕉さんには、そのような謝意の示し方はすべきでないことは、よくわかっているのである。それで、謝礼は帰り馬の鞍つぼに結びつけるということになるのである。

これが、優しさに対する優しさの応答なのであり、これがむかしからの日本人の心づかいなのである。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

ちょっとさびしい話題

「ダカーポ」という雑誌をご存知でしょうか。
マガジンハウスから月二回刊行されている雑誌ですが、マガジンハウスから出ている雑誌にしては地味かもしれません。
その「ダカーポ」が、12月で休刊になるそうで、さびしさを感じています。

その雑誌をはじめて買ったのは高校のころで、出版社別文庫の売上トップテンが特集でした。
各文庫の特徴が売上に反映されていてとても面白い特集だったと記憶しています。
読む本に悩んだら、そのランキングに載っている本で関心がわきそうなものを優先的に読むようしました。
今の私の読書傾向を作ったともいえるかもしれません。

休刊にはなりますが、新しい時代に対応した雑誌となってまた復刊してほしいと思います。
雑誌名が雑誌名ですから、いきなり元に戻って復刊になったら面白いのにと思います。
2007-10-18

漢字でよむ おくのほそ道 第7回
殺生石・遊行柳

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年6月13日



殺生石・遊行柳


■ 原文 ■


是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと、
  野を横に馬牽むけよほとゝぎす
殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折をりにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
  田一枚植て立去る柳かな


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


これから、殺生石(せっしょうせき)へと向かうのであるが、黒羽の城代家老である浄法寺氏は、送りの馬をつけてくださった。

途中、その馬子さんが、「一句頂戴できませんでしょうか。」と所望する。馬子さんにしては風雅なことよ…と、即興の一句。

  野を横に馬牽むけよほとゝぎす

この山野に満ちみちているほととぎすの声。そうだ、ここで馬をとめ、その声とまともに向き合って聞こうではないか。風流を解するそなたと共に−。

殺生石は、温泉の湧く山陰にある。

その噴き出す毒気は衰えておらず、あたりには、蜂や蝶などの死骸がつみ重なって地べたも見えないほどである。

また、西行法師(さいぎょうほうし)が、

  道のべに清水ながるゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ

と詠んだ「清水ながるゝの柳」あるいは「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」といわれる柳の木は、蘆野(あしの)の村の田の畦道に今も残っている。

そして、この地の領主である方が、「その柳を、実際にお見せしたいものだ」と、ときどきお便りをくださっておったので、一見したいものとずっと思いつづけておった。

それがとうとう今、その陰に立つことが現実となった。…その感動にひたっている間に、附近に田植えする農夫は、既に田一枚を植えおえてしまっている。

  田一枚植て立去る柳かな




■ 注釈 ■


殺生石

むかし、一匹の老狐があって、それが、「玉藻の前(たまものまえ)」という美女に化け、時の鳥羽上皇に取り入ろうとしたが正体を見破られ、那須野まで逃れて石と化したとされるもの。


遊行柳

西行法師は、芭蕉さんより約500年前の平安時代後期の歌人。

同じように、諸国を行脚(あんぎゃ)した人である。

「遊行」とは、諸方を旅することであり、その西行法師のたたずんだ柳というわけで、一名「遊行柳」といわれる。

なお、その遊行柳は植え替えられ、植え替えられて、今もその地に現存している。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

秋ですね

10月も半ばを過ぎて、秋だなあと感じることが増えてきました。
日の入りが早くなったり、朝晩がめっきり涼しくなったり。

皆さんはどういったことに秋の深まりを感じるのでしょうか。

私は、自動販売機にhotの文字が出てくるようになると、秋も深まってきているな、と感じます。

この記事も自動販売機で買ったPOKKA純茶のHOTを飲みながら書きました。
やっぱり私はお茶が好きなんだな、とも思いました。
2007-10-17

漢字でよむ おくのほそ道 第8回
白川の関

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年6月20日



白川の関


■ 原文 ■


心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風*騒の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。
  卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良


*「騒」は実際は馬へんに喿と書きます。


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


決意して出発(たびた)ったはずであったが、ここに到るまでは、不安定な日数であった。

しかし、ここ白河の関に到って、やっと旅心が定まった。この関に残る最古の歌、平兼盛(たいらのかねもり)の

  便りあらばいかで都へ告げやらむけふ白川のせきはこゆると

と歌った感動ももっとものことと共感できる。

古来、この白河の関は、蝦夷地(えぞち)と境する重要な関所であり、多くの歌人が歌を残したところである。

  都をば霞とともに出(いで)しかど秋風ぞふくしら河のせき

という、有名な能因法師(のういんほうし)の歌をはじめ、紅葉にも青葉にも、それぞれに多くの歌が残されている。

そして、今、時は真っ白な卯の花の季節、その上、茨の花の白まで加わって、まるで雪中を越えゆくような錯覚さえおぼえる。

むかし、竹田大夫国行(たけだのたいふくにゆき)という者が、この関を越えるとき、わざわざ衣冠を改めて正装したというエピソードが、藤原清輔(ふじわらのきよすけ)の『袋草子(ふくろそうし)』という著作に伝えられている。

しかし、われわれの正装は、ここに咲く卯の花の一枝を折って、髪に挿す、ただそれだけなのである。

  卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良




■ 注釈 ■


なぜ関の通過に正装するのか

それは、古代からの風習であった。

旅の途中、名だたる難所や景勝の地を通過する場合、そこの地霊(ちりょう)・地の神へ、敬虔な祈りを捧げる。

その景観を愛でるということは、即ち、そこの地の神のみ姿を褒め讃えるという行為であった。

従って、関の通過にあたって、衣装を改めるということは、その地の神に対する礼儀なのである。

関の通過にあたって、関の神へ敬虔な祈りを捧げるだけではない。必ず、歌をも捧げるものであった。

…白河の関に残されている多くの歌、芭蕉さん師弟の捧げる一句、それはみな、関の神への献歌なのである。


漢字が教えてくれる古代の旅

故白川静博士の漢字学から得られる知識には計り知れないものがある。

旅とは、通過でもある。

通過の「過」は、人の上半身の骨格の形である

過ぎる1 と、

祈りのことばをあらわす

過ぎる3 と、

過ぎる2 とから成る漢字。

古代の路傍(みちばた)、そこは、行き倒れた人の遺骨のうずもる所でもあった。

従って通過にあたっては、それらの遺骨に対して祈りをささげて過ぎる。

それが、旅の禍いを避ける方法であった。

…「五木の子守唄」の

おどんがうっ死んだば 道ばっちゃいけろ 通る人ごち花あぎゆ

私が死んだら路ばたに埋めてくれ
そうしたら通る人が花を供えてくれるだろうから

という一節も、遠いとおい古代からの風俗からうまれたものだろうか。

(そのあとに「花は何の花 つんつん椿 水は天からもらい水」とつづく。 )



川の難所を渡る漢字が残されている。

川の難所に当たって、その河神に祈る形が、

順

であり、献歌を表す漢字が「訓」である。

どちらの字にも「川」の部分があるのはそのためである。

「順」とは、川のほとりにひざまずく人の形。「順当に渡らせ給え」と祈りを捧げる姿である。

ところで、その、川のほとりにひざまずく人物の頭の部分に注目してほしい。

奇妙な1本の曲線がついているでしょう。

…これは、「おくのほそ道」では、その月山登山のところに「宝冠(ほうかん)に頭を包(つつみ)」とある、その宝冠に相当する。

それは神の前に立つ場合の礼装である。

  卯の花をかざしに関の晴着かな

芭蕉さんは、頭に卯の花のかんざし。

「順」の字の場合は、頭部に宝冠のしるし。

この符合…。

卯の花のかんざしは、礼装であり、句は献歌である。

それは、古代から伝えられた関の通過の作法だったのである。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

広告の枠内での会話

ちょっと前に見た新聞広告で、とても気になっていたものがあるので、ちょっと紹介してしまいます。
それはマガジンハウスから出ている書籍2点の新聞広告で、右に『「1日30分」を続けなさい! 人生勝利の勉強法55』が、左に『ダメなら、さっさとやめなさい! No.1になるための成功法則』が位置しているものです。

これって絶対に狙ってやってますよね。
どちらも自己啓発本といえると思うので、並べて広告を打つのをわかりますが、こう並べられると(いい意味で)遊んでいるように思えてなりません。

「1日30分」を続けるんだ! でも、それがダメならあきらめろ! そんなふうに読んでしまうのは私だけではないでしょう。

広告の効果なのかどちらもよく売れているように思います。
しかし、もし『ダメなら、さっさとやめなさい!』がまったく売れてなかったとしたら、広告をうつことをさっさとやめていたのだろうか、そんなことを考えてしまいました。
2007-10-16

漢字でよむ おくのほそ道 第9回
佐藤庄司が旧跡

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年6月27日



佐藤庄司が旧跡


■ 原文 ■


月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半計に有。飯塚の里鯖野と聞て、尋たづね行に、丸山と云に尋あたる。是庄司が旧館也。麓に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとゞめて什物とす。
  笈も太刀も五月にかざれ帋幟
五月朔日の事也。


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


月の輪の渡しで阿武隈川を越え、瀬の上という宿場に出る。

平安朝末期の領主、佐藤庄司の居城の跡は、左の山ぎわを一里半ばかり行ったところにある。そこは飯塚の鯖野という所だというので、人に尋ねながら行くと、丸山という所に、その城跡があった。

「ここが、大手門(表門)の跡であった。」などと案内の人に教えられ、昔の様子を想像する。

そして、旧跡のかたわらの古寺には、佐藤庄司一族の墓石が残っており、中でも、二人の嫁の墓標には、ひときわ哀れを催す。

女性の身でありながら今の世まで語り継がれる雄雄しいエピソード、聞くだけで思わず感涙を催すというもの、それは、遠く中国にあるという「堕涙の石碑」を引き合いにだすまでもない。だれもが感動せずにはおれない旧跡は、この日本のこの地にもあるではないか−。

寺の僧坊で茶を乞い話しを聞けば、寺には義経の太刀(たち)と弁慶の笈(おい)が、寺宝として残されているという。

  笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)

時あたかも端午の節句まぢか、鍾馗様(しょうきさま)の幟ばかりでなく、この太刀と笈も、共に飾ったらいかがなものでしょうか。




■ 注釈 ■


佐藤庄司一族のエピソード

源義経の平家追討の戦に従軍し、義経の身代わりとなって戦死する、佐藤継信・忠信兄弟の父が佐藤庄司で、福島の信夫郡(しのぶぐん)の領主、「二人の嫁」とは、その、継信・忠信の妻たち。

生きて故郷に凱旋することのなかった兄弟の母の悲しみを慰めようと、二人の嫁は、女ながらも、鎧兜(よろいかぶと)に身を固め、参戦の武士の装いをしてみせたという。

…その故事によって、寺には二人の嫁の甲冑を着た木像があり、寺の名も甲冑堂(かっちゅうどう)というのだそうである。



堕涙の石碑

その碑に参る者は、そこに込められた伝説に、おもわず感涙を催すという、中国の石碑。




【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

出発進行!

昨日10月14日は鉄道記念日でした。
また、それにあわせて鉄道博物館が大宮にオープンしました。
徹夜組も出たそうで、かなりの盛況だったようです。
鉄っちゃんだけに徹夜も苦にならないのでしょうか。

私は午前中所用があり、宇都宮方面行きの湘南新宿ラインに新宿から乗りました。
なんかいつもより人が多く乗ってないかと思ってはいました。
列車が大宮に着くとかなりすいてやっと座れるようになったのですが、大宮で降りた人の何%かは鉄道博物館に向かったのではないでしょうかね。

昨日は行きませんでしたけど、そのうち博物館へ行ってみたいと思っています。
こういうのは行く前がわくわくして一番楽しいような気がしますね。

漢字でよむ おくのほそ道 第10回
宮城野

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年7月4日



宮城野


■ 原文 ■


名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。爰に画工加右衛門と云ものあり。聊心ある者と聞て、知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるゝ。玉田・よこ野、つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松島・塩がまの所々画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。
  あやめ草足に結ん草鞋の緒


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店




■ 訳 ■


名取川を渡って仙台に入る。5月4日、屋根に菖蒲(しょうぶ)を葺く日であった。・・・仙台では旅館に宿泊、4、5日逗留することにした。

この地に、画工の加右衛門というものあり、ひとかどの教養人であるときき、知り合いの仲となる。この者、「日ごろから、歌に詠まれても、在所の知れない名所を調べおきましたので−。」と一日、それらを案内してくれた。

宮城野は萩が多く、秋の花咲く景色はいかほどかと想像される。…玉田・よこ野を経て、つつじが岡は、馬酔木(アセビ)の花盛り。

昼なお暗い松林に入ったが、そこがまた「木の下」という名所。昔もこのように露深い所であったのだろう。

  みさぶらひみかさと申せみやぎのゝ木の下露は雨にまされり

という歌の残っているところである。…。「お侍さま、笠を用意して行きなされよ…」というのであるという。

それから、薬師堂や天神社を参拝して一日がくれた。

別れるにあたって加右衛門より、自作の松島・塩竈などの絵地図が贈られた。

更に、藍染の布を緒に巻いた草鞋(わらじ)2足が餞(はなむけ)された。
藍は、毒蛇の蝮(まむし)の嫌うもの。その草鞋は、旅の安全を祈るものである。……この、心づかい−。

加右衛門という人物の、なみなみならぬ人品(じんぴん)、その本性が表現されているではないか。

  あやめ草足に結ん草鞋の緒

われわれも、この餞にこめられた誠意を胸に、また長途の旅をつづけるとしよう。邪悪を祓い、かつ薬草であるあやめ草を足にむすぶ思いで−。




■ 注釈 ■


旅人に贈る心

古来、東洋においては、旅に行く人に対する思いを歌った歌が多い。

中国においても、日本においても−。

その中でも、特に有名なのは、万葉集の東歌(あずまうた)の、次の一首であろう。

信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな履著けわが夫 (万葉集 巻14・3399)
(しなぬじは いまのはりみち かりばねに あしふましむな くつはけわがせ)

信濃路(中仙道)は、まだ切り開いたばかりの道。そこは柴や萱の切り株も多い。足を踏みとおしたら大変。必ず、藁靴をお履きなされ、という新妻の夫に対する思いやりである。



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【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

漢字でよむ おくのほそ道 第11回
松島

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年7月6日



松 島


■ 原文 ■


抑ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。島々の数を尽して、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ。


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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


いまさら言うまでもないことであるが、松島は、わが国第一の景勝の地であって、それは、中国の洞庭湖や西湖にくらべて勝るとも劣るものではない。

その松島は、東南方向より海の入りこんだ港であり、その規模およそ三里四方、中国の杭州湾に似て干満のはげしいところである。

その上、大小さまざまの島のすべてが、ひとつの湾内に集っており、とんがったものは天を指さし、ひらべったいものは、波に腹這いする姿。

あるいは二重にかさなり、三重にたたみあげ、左方に別れていくと見えたかと思えば、右方は島々のつらなり、おんぶしているものやだっこしている状態の島々、あたかも、じじばばが孫子をかわいがっている姿である。

そして、この松島は、その名の示すとおり、島々は松の緑一色。木々の枝ぶりもみごとで、天然の景、その極致を見るようであり、その景色たるや、窅然として奥深く、その美しさは、比類ない美女の容貌。

これぞ神代のむかし、この国の山河造成にたずさわったという大山祗神(おおやまずみのかみ)のなせる業(わざ)であろう。それは、何人(なんびと)も絵に描き、文章に表現しつくすことができるであろうか。




■ 注釈 ■


名文を味わう

松島の章の、この一節は、古今の日本語文の中でも、名文中の名文ということができる。

できれば、原文のまま、暗誦したいところである。

二、三の語句について解説を付けておこう。


●扶桑(ふそう)

東海の日の出る所にあるという神木、またその土地という意味から、昔、中国で日本をこう言った。

つまり、扶桑とは、日本の別名である。


●匍匐(はらばう)

音読みでは「ホフク」と読み、「匍匐前進」とは、腹這いになって敵に迫ることである。

「甫畐(ホフク)」は、字の音を示し、「勹(ホウ)」は、人の側面形。

ここでは、人が体をまげて腹這う形をあらわしている。


●窅然(ようぜん)

奥深く深遠なさま、と訳されるが、「窅」とは、被り物の下から目を出す様子であり、「冒(ボウ)」や「曼(マン)」と似た字。

12よう


「曼」とは、女性が被り物を、手でたくしあげて顔をあらわし、“わたし、きれいでしょう”というそぶりをすることをあらわす。

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●造化の天工

白川文字学によると、日本語の「つくる」に相当する漢字には「作・為・造」があり、「作」は枝を手で折り曲げる形で、人間の手作りをあらわし、「為」は、人が象を操る形。人力を超えた力で大きな工事などをおこなうこと。

そして、「造」とは、神のお告げをあらわし、従って、「造化の天工」と使うことは、もともとの字の意味にかなう使い方である。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

漢字でよむ おくのほそ道 第12回
平泉

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年7月11日



平 泉


■ 原文 ■


三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
  夏草や兵どもが夢の跡
  卯の花に兼房みゆる白毛かな   曾良

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原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店




■ 訳 ■


奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)の繁栄も、歴史の上から見れば、ほんのひと眠りの間、現にその館跡のすがたは、といえば、南大門の道は、館跡の一里手前にあり、秀衡の居館「伽羅御所」の跡も今は、田畑となって、平泉鎮護のために造られた金鶏山だけがその形を残しているという状態である。

それで、まずは、義経の居館のあった高館に登ると、眼下は、南部地方から流れてくる北上の大河。

弁慶最期の地であった衣川は、和泉が城をめぐって高館の下で北上川に合流する。

三代目の当主秀衡の次男である泰衡たちの旧館跡は、衣が関をへだてて、南部口を堅め、北方からの蝦夷(えぞ)の侵入を防ぐものだっただろう。

それにしても、高館は、武蔵坊弁慶をはじめとする忠臣たちが、最後まで主君源義経を守って立てこもった所である。

その、名将義経の最期の場所であるこの館跡も、今は、ただの叢(くさむら)なのである。

  国破れて山河あり 城春にして草青みたり

という、有名な杜甫(とほ)の「春望」に詠われている現実が、今ここにある思い。

しばらくは、滂沱(ぼうだ)と涙を流して、草の上にただ座るだけである。

  夏草や兵どもが夢の跡

そして、ここも、卯の花の盛り。この花の白さも、最後まで義経を守って奮戦した、老臣の兼房の白髪頭が想像されるようである。

  卯の花に兼房みゆる白毛かな   曾良




■ 注釈 ■


義経の最期

源九郎判官義経(みなもとのくろうはんがんよしつね)。

鎌倉幕府を興した兄源頼朝をたすけて平家を滅亡させるのだが、その後、頼朝の怒りをかうこととなり、武蔵坊弁慶をはじめとする、ごく僅かの忠臣とともに諸国を流浪。

最後に奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せる。少年時、鞍馬寺から出て、成人するまで育ったところである。

しかし、秀衡の死後、その子泰衡に急襲されて、衣川の高館にて自殺。

薄命の英雄として伝説化されていて、そして日本人はみな、この義経贔屓であるとされる。

いわゆる「判官贔屓(ほうがんびいき)」であり、不遇な者や弱者に対する同情がつよいのである。

実際、義経の落ちのびた跡には、多くの伝説が今に到るまで残っている。

これ程伝説の多い人物は、義経をおいて他にはいない。

考えてみると、「おくのほそ道」の行程のうち約半分、つまり、平泉以降の道は、義経の通った道を逆に辿ったことになるわけである。

芭蕉さんの旅も、その途々、多くの義経伝説と出逢わないはずはなかった。

しかしそれも今は、「兵どもが夢の跡」だったのである。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

過去最高齢の受賞者

昨日のこのブログでノーベル文学賞は誰が受賞するのか、といったことを書きました。
受賞したのはドリス・レッシングという英国人女性でした。
私が名前をあげた人はかすりもしなかったですね。
思い切り空振りしてしまいました。

参考までに当社ではナディン・ゴーディマという南アフリカのノーベル文学賞受賞者の作品を二作刊行しております。
「ブルジョワ世界の終わりに」と「マイ・サンズ・ストーリー」の二作品です。

レッシング氏も50年にわたってアフリカに住んでいたということなので、ゴーディマと共通点があるかもしれません。
読書の秋にノーベル文学賞作家の作品を読み比べてみるというのはいかがでしょう。

漢字でよむ おくのほそ道 第13回
尿前の関

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年7月18日



尿前の関


■ 原文 ■


南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
  蚤虱馬の尿する枕もと


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


平泉からは、南部方面へは向かわず、南下して、宮城県の岩出山に宿泊。更に、小黒崎・みづの小島を過ぎ、鳴子温泉を経由して、尿前の関から出羽の国に越えることにする。

この、尿前越えといわれる路は、旅する者が少なく、また、関守たちも警戒心が強く、はらはらしどおしで関を越える。

この尿前越えまたは、中山越えといわれる峠を越えた時は、すでに日没。

国境を守る役人の家、いわゆる封人(ほうじん)の家を見かけて、宿泊させてもらうことにする。

…3日間、暴風雨のため、やむなくこの山中に逗留することになったのであるが、そこは、一晩中蚤や虱にせめられ、その上、枕もとでは馬の尿する音。

なんともわびしい旅寝であった。

  蚤虱馬の尿する枕もと




■ 注釈 ■


封人の家

宮城県小牛田(こごた)から山形県新庄市に通ずる鉄道、陸羽東線。

その、山形県側最初の堺田(さかいだ)駅の近くに、「封人の家」がある。

建物は茅葺屋根の平屋で、普通の農家。

芭蕉さんの実際に宿泊したその建物が現存している。

居室と土間を隔てて、屋内に2頭分の馬屋があった。



深山を越え行く描写

…旅は、尿前の関のある堺田からは山刀伐峠(なたぎりとうげ)を越え尾花沢に到る。

その、深山をゆく描写は、「おくのほそ道」のなかでも屈指の名文である。

それは、

…あるじの云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。雲端(くもは)につちふる*心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。…

となっていて、これぞ、日本の文語調の名文。

昼なお暗い深山を、一行が息をつめて通りすぎるその様子が目に見えるようである。

* 「雲端につちふる」

竜巻のような天候であろう。突風に、巻き上げられた砂塵が、雨とともに降ってくる、そのような天候をいう。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

ストライクか見送りか

今日11日の日本時間で夜の8時にノーベル文学賞が発表になるそうです。
昨年は村上春樹氏が有力候補と騒がれ、事前にかなり盛り上がった記憶がありますが、今年は昨年ほど盛り上がってないような気がします。

候補者名は実際には発表されていないはずですが、何人か村上氏のほかにも名前が挙がっています。
おやっと思ったのはフィリップ・ロス氏の名前が挙がっていたこと。
フィリップ・ロスといえば「素晴らしいアメリカ野球」という小説を読んだことがあったような、なかったような。
読んだとしても20年以上も前のことで曖昧なのですが、とにかく作家名と作品名には記憶があります。

もし村上氏が受賞すれば、書店には氏の著作が山のように積まれることでしょう。
それはそれで見てみたい気がします。
もしフィリップ・ロス氏が受賞したら、「素晴らしいアメリカ野球」を中心にメジャーリーグの本のフェアをやったら面白いかもと思いました。
もっとも、「素晴らしいアメリカ野球」は現在品切れのようなので、フェア展開ということはまずないでしょうね。

さてだれが受賞するのか、興味本位で発表の時間を待ちたいと思っています。
2007-10-11

漢字でよむ おくのほそ道 第14回
尾花沢

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年7月25日



尾花沢


■ 原文 ■


尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
  涼しさを我宿にしてねまる也
  這出よかひやが下のひきの声
  まゆはきを俤にして紅粉の花
  蚕飼する人は古代のすがた哉   曾良


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


尾花沢にて、鈴木清風という者を尋ねる。

彼は、富裕の身でありながら、人品高潔のものである。職業柄、度々上京することがあり、従って旅の風流にも理解あるものなので、しばらくとどまって、お世話になることになる。

…清風方(がた)も、長旅の労をねぎらいなぐさめ、いろいろともてなしてくれる。久しぶりに「わが家」に落ち着くおもいである。

  涼しさを我宿にしてねまる(※後注)

…かいや(蚕室)の下で、ククと鳴くひきがえる(蟇)よ、出てきて私とも語ろうではないか。

  這出よかひやが下のひきの声

そして、清風の業(なりわい)としている紅花。そのはなぶさは、あたかも女性が身を装う道具である、眉掃(まゆはき)と、そっくりではないか。

  まゆはきを俤にして紅粉の花

また、夏の養蚕のしごと、それは高温多湿の中でおこなわれることなので、男女とも、上半身裸のままである。

  蚕飼(こがひ)する人は古代のすがた哉   曾良




■ 注釈 ■


芭蕉の寄り道…旅の途中の「わが家」

…かれは富るものなれど志いやしからず

「ほそ道」の旅の記述は、人との出逢いの記録でもあるわけだが、この「富るものなれど志いやしからず」という鈴木清風に対する人物評ほど凛としたものは他にない。

これは、私的な感情であるけれど、わたしは、このことばのあることを知って、作品「おくのほそ道」から、目が離せなくなった。

なんとすごい人物評なのであろう。

地図で見てもあきらかなように、平泉から象潟(きさがた)に向かう道程からは、尾花沢や山寺は、寄り道になっている。

なのに、山刀伐峠を越えて尾花沢へ向かう。それは、この鈴木清風の居住の地への寄り道なのである。

だから、旅の途中にあるべくもない「我宿(わがやど)」に「ねまる」のである。

「ねまる」とは、土地の方言であり、語源は「根回る」ではないかと思う。

樹木が大地に根を張る如く安座するのである。

人がその地の神のなかに安住する状態をいうのではないかと思う。

そして、句の題材となる「蚕飼い(こがい)」も「紅花(べにばな)」も、清風のなりわいを支えるものである。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

身近なところから漢字の奥深さがわかります????????


成り立ちで知る漢字のおもしろ世界 人体編


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著者:伊東信夫
定価:本体¥1,300+税
ISBN978-4-88319-435-3

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◇内容◇
ようこそ、漢字のおもしろ世界へ!

本書は、立命館大学名誉教授、故白川静博士の著作である漢字辞典『字統』『字通』に準拠して漢字の意味を説明したものです。
漢字の字形の成り立ち・変遷(古代文字〜現代文字)を見ながら、その本来の意味とつながり・仕組みを、読んで、見て、理解しつつ、漢字そのものの知識を深めていくことができます。
老若男女に楽しんでもらえる一冊です。

 

「見」という漢字は、眼だけを大きく書いた人の形がもともとの字形でした。これは、本来見えない神を見るための、今に置き換えれば物事の本質を見抜くという意味がこめられています。「見る」ことは内面的なことまでをも知る行為なのです。


◇今後の予定◇
11月:道具・家・まち 編
12月:武器・ことば・祭祀 編(完結)


【著者プロフィール】伊東信夫(いとう・しのぶ)
1926年、山形県生まれ。故白川静博士に師事。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。
主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」漢字がたのしくなる本(いずれも太郎次郎社)がある。

漢字でよむ おくのほそ道 第15回
立石寺

漢字でよむ 奥のほそ道
2007年8月2日



立石寺


■ 原文 ■


山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
  閑さや岩にしみ入蝉の声


原文出典:『芭蕉 おくのほそ道』岩波書店



■ 訳 ■


山形領に、宝珠山立石寺(りっしゃくじ)という寺がある。平安初期の高僧、慈覚大師の開いたという清閑の地である。

「ぜひ、ごらんになったほうがいいですよ。」と、人にすすめられて、寄り道することになる。尾花沢からは、七里(約28km)ばかり南下したところにある。

到着は、未だ日暮れ前、麓の宿坊に宿を借りておいて、山上の堂院を見ることにする。

立石寺は、俗に「山寺(やまでら)」ともいわれ、全山が巌(いわお)を重ねたような山でできている。その景色は、老松老杉に包まれ、土石は苔むし、岩上に立つ院々は扉をとざし、森閑として音なく、

断崖を廻り、岩を這い仏閣を参拝する。その絶景なるや寂寞として心のあらわれる思いである。

さらに、あたりは夏蝉の声に満ち、それがひときわ、この山寺の静寂をきわだたせる。

  閑さや岩にしみ入蝉の声




■ 注釈 ■


「佳景寂寞」について

この、山寺の風景描写は、また、古今の名文といってよいものであろう。

そして、このような名文は音読して味わうべきものであるが、それにしても、このような名文のうまれるのは、日本語が漢字を音訓両用、自在に使いこなすものだからである。

それだけではない。

同じ音読みといっても、中国音は、時代と地方の違いによって、呉音・漢音、その他と、多様であった。

それをまるごと、日本語はのみこんで使っているのである。

「佳景寂寞(かけいじゃくまく)」が、そのもっともよい例であると思う。

…「寂寞」は、普通なら「セキバク」読む。しかし、「ジャクマク」とも読めるのである。

…仮に「カケイセキバク」という読みと、「カケイジャクマク」という読みを、声を出してよく吟味してほしい。

やはり「…ジャクマク」と読むべきところであることが納得できるであろう。

なお、「寂・寞」の漢字の意味である。

「叔(シュク)」は、邪悪を祓う呪鎮に用いる鉞(まさかり)を手に持つ形で、

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「寂」は、廟(みたまや)に、そのまさかりの刃が白く光る状態をあらわし、

「莫」は、西の草原に日の沈む様子。

15baku.jpg

そのことから、「寂寞」とは、ひっそりと静まりかえった状態を表すのである。





【著者プロフィール】 伊東信夫(いとう・しのぶ)

1926年、山形県生まれ。白川漢字学の系譜に連なる漢字研究家。
1947年、山形の冬季分校の教師となって以来、長く教職に携わる。
現在は、漢字学の研究と共に、子どもや教師たちに漢字のおもしろさを伝えるため、各地で講演するなど、活躍中。主な共著書に「漢字カルタ」「漢字はみんな、カルタで学べる」「漢字がたのしくなる本」シリーズ(いずれも太郎次郎社)、「成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界」シリーズ(スリーエーネットワーク)がある。
現在、立命館大学 白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員。

第9回目 かとちえの短歌教室 テーマは“友”

かとちえ短歌.jpg
    
更新日10月10日


<ご挨拶>
こんに